16.コミュニケーション能力が低いのは誰だ?

こんにちは。

このまえ小さい秋を見つけたばかりですのに、すっかり大きな秋となりました。

もうちょっとしたら、小さな冬が見つかりそうです。

 

 

今回は、私が苦手とする言葉、「コミュニケーション能力」について思うことを書きます。

 

経団連 新卒採用に関するアンケート調査結果

 

まずは、経団連(日本経済団体連合会)が2017年11月27日に発表した「2017 年度 新卒採用に関するアンケート調査結果」を記します。

画像が小さくてご覧になりにくいと思います。
章の下段に元資料のリンクを貼りました。

経団連企業会員 1,339 社中、回答社 553 社(回答率 41.3%)
「選考時に重視する要素」の上位5項目の推移です。

 

以下は、上のグラフから数字(%)を拾ったものです。

コミュニケーション能力 82.0
主体性         60.7
チャレンジ精神     51.7
協調性         47.0
誠実性         44.2
ストレス耐性      34.5
責任感         23.3
論理性         22.4
課題解決能力      20.6
リーダーシップ     15.4
専門性         13.6
信頼性         12.8
柔軟性         12.7
創造性         12.1
潜在的可能性(ポテンシャル  )11.6
一般常識          6.6
語学力           6.6
履修履歴・学業成績     4.2
留学経験          1.1
その他           4.0

 

コミュニケーション能力を重視する企業が多いですね。

 

元資料
「2017 年度 新卒採用に関するアンケート調査結果(2017 年 11 月 27 日)
(一般社団法人 日本経済団体連合会サイト」)

 

コミュニケーション能力が低いのは会社側ではないでしょうか?

 

私、ふと閃いたことがあります。

コミュニケーション能力を求める会社の方が、実は能力が低いのではないか?

 

「コミュニケーション能力が低い」と面接で評価される学生がいたとします。

この学生が入社した場合、会社がちゃんと学生の個性を理解し的確に教育するならば、入社後に活躍するはずです。

理解は、コミュニケーションから始まりますね。

会社が学生を理解できないということは、会社側のコミュニケーション能力が低いのではないでしょうか?

 

仮に自己表現が苦手な学生のことを考えましょう。

もしも会社側にコミュニケーション能力があるならば、この学生を受け止め、安心させ、リラックスできる状態で学生の心を引き出し、自己表現を高めることができるのではないでしょうか?

このように考えますと、コミュニケーション能力が低いのは学生側ではなく、むしろ会社側ではないかとすら思えてきます。

 

このことは、入社後の社員教育やOJTにも当てはまるのではないかと考えます。

会話が苦手な新入社員、理解力と共感力と表現力が低い新入社員はどちらにもいます。

新入社員は「あの人はコミュニケーション能力が低い」と上司や同僚が評価することでしょう。

しかし、上司や同僚が新入社員の特性を理解して認めることがコミュニケーションの第一歩だと思います。

それが出来ないならば、会社側がコミュニケーション能力が低いのではないでしょうか。

 

「コミュニケーション能力」という言葉にとらわれて、自信をなくしている方々がい多いと聞きます。

数十社の会社面接で不合格となり、自分は社会から否定されているのではないかと悩む学生も多いようです。

 

 

その学生さんにお伝えしたいことがあります。

「コミュニケーションをとる度量がないのは、会社側(または社会側)ではないか」と考えてみてはいかがでしょうか?

もちろん、挨拶をする、報告連絡相談をする、分からないことは尋ねる、相手を否定せずにまずは受け止めるなどのコミュニケーションの大切さを知り、習得する不断の努力は誰もが必要です。

私がここで申したいのは、「コミュニケーション能力」という言葉は、力がある側(多数派と言い換えても良いです)が自分のことは棚上げしておいて、少数派に向かって乱用している可能性が大きいということです。

コミュニケーションの取り方は、一つの正解があるわけではありません。

いくつもの方法と手段があります。

この多様性を会社側(社会)が理解することは、会社(社会)の活性化につながると思います。

 

 

セルフコンパッションに関する今までの投稿一覧

 

1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

2.私が今ここにいる意味と『病者の祈り』

3.今を生きる

4.「棚上げ」という魔法

5.母を亡くしました

6.認知症だった母への罪悪感

7.罪悪感を手放す具体的な方法

8.罪悪感と怒りとは同じものかもしれません

9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉)

10.対話は、理解よりも共感が大切! -書籍と映画を通じて-

11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!

13.映画「ありがとう、トニ・エルドマン」にみる父と娘

14.気持ちを素直に伝える。これがアサーションという権利

15.押してもダメなら引いてみな。「逆櫓の構え」

16.コミュニケーション能力が低いのは誰だ?

 

 

 

 

 

 

15.押してもダメなら引いてみな。「逆櫓の構え」

こんにちは。

紅葉の季節ですのに、ある地域は25度近い気温とか。

寒暖の差が大きくて体調を壊しそうですね。

 

(画像引用:矢切と葛飾区柴又を結ぶ舟。松戸市観光協会)

 

今回は、引きこもりに関する雑誌に書かれていた言葉「逆櫓(さかろ)の構え」から感じたことを書きます。

「逆櫓(さかろ)の構え」は引きこもりではない方々にとっても示唆ある言葉だと思いましたので、今回取り上げる次第です。

なお、 「逆櫓」とは、船を後ろへも自由に漕ぎ進められるように、艪を船の前部に取り付けることです。

 

(アイキャッチ画像引用:『HIKIPOS 03』(2018.8.15)表紙)

 

ひきこもり当事者の声満載の雑誌『 HIKIPOS 』

 

ご縁があり『HIKIPOS―ひきこもり・生きづらさ当事者の声が満載!』という雑誌を読みました。

 

まずは雑誌の各号の特集と表紙をご覧ください。

 

01号の特集

「なぜ、ひきこもったのか。ひきこもり当事者が語る“原因”」。

(画像引用:HIKIPOS 2018.2.15)

 

02号の特集
「こうして人とつながった。経験者が語る“人とつながる方法”」。

(画像引用:HIKIPOS 2018.5.15)

 

03号の特集
「ひきこもりと恋愛・結婚」。

(画像引用:HIKIPOS 2018.8.15)

 

以下が裏表紙に記してありました。

 

ウェブ版ひきポス http://www.hikipos.info/   (『ひきぽす』で検索)

Twitter  @hikipos1

Facebookページ www.facebook.com/hikipos

お問い合わせ先 info@hikipos.info

 

「背水の陣」よりも「反櫓(さかろ)の構え」

 

『HIKIPOS』02号の11頁。

タイトル「社会に出ていくよりも、逃げること」(喜久井ヤシンさん)から抜粋します。

 

 

(略)

「自分は完全に、社会人として立派にならなければいけない。」「親にも世間にも恥じないよう、金を稼ぐ男性にならねば、絶対に許されない。」-そんな脅迫的な思いで、私は自分の精神を痛みつけていた。

……時は流れて、三十代になった現在の私は、親しい人とのつながりもあり、アルバイトで自活さえしている。そうなったのは、「絶対に行かねばならない進路」を行ったからではない。「失敗しても大丈夫な退路」を得たからのことだ。車輪を回す力をゆるめて、少しだけ方向転換し迂回路を行くような、そんなゆとりが要った。

(略)

当然、変化は数日や数カ月で起こるようなものではなく、数年もの歳月をかけて、ゆっくりと起こっていった。

(略)

進路より退路を、というのは、医学の分野でも主張されてきた。精神科医の中井久夫氏は、精神の健康のためには、「背水の陣」ではなく「逆櫓(さかろ)の構え」が必要だと言っている。逆櫓とは、後ろに下がるためのオールをそなえた船のこと。前へ進まねばならない強さより、退くことのできる柔軟さが必要だという。

(略)

ひきこもり支援の場でも、「絶対に成功しろ」というメッセージが、逆効果になることはすでに指摘されてきた。仕事を恐れるひきこもりに対して、「バイトの面接に受からねばならない」と追い詰めるやり方では動き出せない。それよりも、「面接、五回くらい失敗しておいで」と言える人がそばにいた方が、よほど動き出しやすくなる。私としても、もしも自分の親がそれくらいの気持ちでいてくれたなら、どれくらい精神が楽になったかわからない。

(略)

「絶対に」、「間違いなく」、「前へ進まねばならない」なんて思いに取り囲まれたままだったなら、私はいつまでも、人とのつながりのない生活をしていただろう。就労や学業といった最短距離では、私は進むことはできなかった。自分なりの退路・迂回路があることで、ようやく動きだせる。それが人とのつながりにもなり、良し悪しを別とした一つの結果として、社会的なつながりも生み出していく。私はそのような経験をしたように思う。

(略)

 

 

 

いかがでしたのでしょうか?

私は一行一行が胸に刺さりました。

「前へ」に行ってもよし、時には後ろに「退く」のもよしなのですね。

 

しばらくして、心に安らぎを感じました。

 

後ろ向きに歩いてみると・・・・・

 

以前試したことを思い出しました。

後ろ向きに歩いてみたのです。

すると、後ろに一歩後退するたびに、視野が広がったのです。

空が広く見えたのです。

建物と木々が私の目の中で広くなっていったのです。

新鮮でした。

 

後ろ向きに歩むと、今まで見えていた光景が違ったものとして見えてくるのです。

 

YouTube動画(19秒 後ろ向きに歩く人たち.wmv)

 

 

余談ですが、水前寺清子さんが「押してもだめなら引いてみな」と歌っています。
・歌詞

でも、歌詞の中の「登っていくのが人生さ」はどうでしょう?

登るばかりが人生とは思えません。

 

セルフカインドネスを利用して、
「後退してもいいんだよ」
とささやいてみましょう

 

セルフカインドネスは、自分自身に対して優しくすることです。

 

目標の実現を目指している最中、達成しなければいけないという自縛によって、疲れたり自信を失うことがありますね。

自分が立てたはずの目標が意味があったのだろうか、とさえ戸惑うこともあります。

「逃げてはいけない」「初志貫徹しなければ」という思いは立派ですが、時には自分を追い込むことがあります。

こんなとき、「一度、退いてみたら」「バックしてみたら」と自分自身にささやきかけてください。

 

セルフカインドネスを利用して、穏やかな気持ちを取り戻したいものです。

※ 固定ページ「セルフカインドネス」はこちらです。
「自分自身に優しくする」セルフカインドネス(Self-Kindness)

 

 

セルフコンパッションに関する今までの投稿一覧

 

1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

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6.認知症だった母への罪悪感

7.罪悪感を手放す具体的な方法

8.罪悪感と怒りとは同じものかもしれません

9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉)

10.対話は、理解よりも共感が大切! -書籍と映画を通じて-

11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!

13.映画「ありがとう、トニ・エルドマン」にみる父と娘

14.気持ちを素直に伝える。これがアサーションという権利

15.押してもダメなら引いてみな。「逆櫓の構え」

 

14.気持ちを素直に伝える。これがアサーションという権利

こんにちは。

紅葉が楽しみな頃となりました。

 

 

銀杏並木と紅葉並木、どちらを歩きたいでしょうか?

えっ!
相手に寄りけりですって?

 

今回は、「気持ちを表現することと、その方法」について考えたいと思います。

 

二つ前の投稿「12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!」と同様、

『自分の気持ちをきちんと〈伝える〉技術」(平木典子著、PHP研究所、2007年6年8日)を参考にします。

 

(画像引用:PHP)

 

遠慮や気遣いをして疲れていませんか?

 

こんなことはありませんか?

1.
夜中に知人から電話があり、愚痴や悩みを聞き続けた。

2.
頼まれたことを断ることが出来ず引き受けてしまう。

3.
ランチや飲み会に誘われ、行きたくないのについていった。

4.
相手の気持ちを考えると、自分の正直な感想を言えない。

5.
弱音(「疲れた」「嫌だ」「困った」「出来ない」)を言ってはいけないと思っている。

6.
相手の不愉快そうな顔を見たくないから、「自分は違う」といいにくい。

7.
顔では笑っているが、心は曇っている。

 

多かれ少なかれ、当てはまることがあるのではないでしょうか?

だいたいは、そんなとき、あとで嫌な気持ちや憂鬱な気持ちになります。

 

 

時には、「自分の我慢している気持ちをなんで相手は察してくれないのだろうか」と相手に腹が立ったりします。

さらに、我慢がたまりすぎると、人と付き合うのがおっくうになることさえあります。

 

アサーションという権利を知ろう

 

お互いを大切にしながらも、素直な気持ちで率直に相手とコミュニケーションをとることを「アサーション」と言います。

自分を主体として言い換えると、「アサーションとは、自他の権利を侵さない限り、自分を素直に自己表現をしてもよい」という意味です。

 

 

アサーションは、人みなが平等に持っている権利です。

(その時の言動や自己表現を「アサーティブ」と言います)

 

素直な気持ちを率直に伝えにくい理由とは?

 

素直な気持ちを率直に表現し合って付き合えれば気持ち良いですね。

でも、なかなか気持ちを率直に伝えることは難しいものです。

なぜでしょうか?

 

子ども時代から今までを思い出してみてください。

次のようなことを親や先生から言われたことはないでしょうか?

「あなたはまだ子供だから、親に口答えしてはいけません」。

「あなたは女性だから、〇〇しなさい/女性だから、〇〇してはいけません」。

「あなたは経験が少ないから、思ったことを勝手に口にしてはいけません」。

「あなたは年長者だから、年下の気持ちを大切にして我慢しなさい」。

これらを構図にすると、こうなります。

「あなたは〇〇だから → あなたは〇〇しなさい/してはいけません」。

 

 

次のようなお説教や助言を聞かれた方も多いのではないでしょうか。

「良い人とは〇〇だから → あなたは〇〇しなさい/してはいけません」。

「〇〇すると人が嫌な思いをするから → 〇〇してはいけません」。

このような言い方や無言の圧力に何年もさらされていますと、
「自分の本当の気持ちを表現してはいけない」と思い込むようになります。

この思い込みが、素直な気持ちを率直に伝えられない原因です。

 

別の視点から考え直してみます。

「常識とは何か?」という視点からです。

 

常識とは、幼少時は親や先生から、そして長じては会社や地域や風習から教え込まれて身についた思考の癖みたいなものです。

具体的には、次のような常識(思考の癖)です。

・ものわかりがよい人間であらねばならない。

・愚痴や弱音や寂しさを言ってはいけない。

・気持ちや意見は、相手の反応を見極めながら控えめに言わなければいけない。

・年長者の言うことに逆らってはいけない。

・人を傷つけてはいけない。

・誰からも嫌われてはいけない。

・頼まれたら嫌と言わずに引き受けるのが良い人である。

 

 

これらの常識は人と人の間を円滑にする知恵でもあります。

 

しかし、一方で、
常識というものは、
大人の都合がよい言い分であったり、
大人が子どもを自分の思い通りに動かすための言い訳として用いられることが多々あります。
(「大人」を「既得権者」と言い換えても良いです)

この常識にとらわれすぎると、自分の本来の気持ちを心の奥に閉じ込めてしまい、
結果として正直な気持ちを率直に表現することを控えてしまいがちです。

これでは、アサーティブな関係が築けませんね。

 

 

なお、性別・地位・役割・年齢などは社会的な属性です。

どの属性をどれくらい重んじるかは、時代によって変化します。

社会的に作られた属性にしばられることなく、属性よりも自分自身の正直な気持ちを優先させて話せたらどんなに楽だろうかと思います。

 

両者のアサーション権を尊重する

 

誤解なさらないように申し加えますと、無鉄砲に相手の考えを否定したり自分だけの考えを貫き通すことがアサーションではありません。

そうではなく、「まずは自分の思いを率直に正直に表現するということが大切だ」と言いたいのです。

 

自分と相手との気持ちや考え方が異なることは多いです。

日常的には葛藤やもめごとが当たり前のようにおこりますね。

お互いの思いが一致することの方が少ないと思っていて丁度よいくらいです。

両者が同じ意見と感覚を持つ必要はありません。

お互いの違いと表現を平等に尊重することが大切であり、歩み寄るという努力が必要なだけです。

 

歩み寄る第一歩として、お互いが正直な思いを伝えあうことが大切なのです。

相互の思いと意思を確認し合いながら歩み寄るという覚悟が決まれば、欲求不満や憂鬱が消えることでしょう。

 

 

 

 

自由であるために

 

アサーション権の根底には、「個人の自由と責任」という概念があると考えます。

言い換えれば、自分が自由に決めたことは人のせいにしないという覚悟をもつことです。

 

あなたの感じ方と考え方は、誰のものでもないあなた自身のものです。

人がどう思おうと、感じ方と考えはあなたのものであり、他人と合わせる必要はまったくありません。

そして、自分を素直に表現する「アサーション権」をあなたは持っています。

 

 

仮に、年下の友人が土曜のコンサートにあなたを誘ったとします。

友人からは「一人で行ってはいけないと家族からいわれているから、助けると思ってコンサートに付き合って」と懇願されました。

その日は伴侶とデートする約束が入っていました。

あなたは一緒に行く自由もありますし、断る自由もあります。

 

【コンサートに行く場合】

コンサートに行くには伴侶へ理解をしてもらわなければいけません。

伴侶に恨まれるかもしれません。

恨まれる可能性があることも含めて、コンサートに行くのは「あなたの責任」です。

友人には一切責任はありません。

 

【コンサートに行かない場合】

友人にガッカリされたり、時には冷たい人だと悪く思われるかもしれません。

しかし、コンサートに行かないとあなたが選んだのですから、友人からどのように思われようがあなたの責任です。

伴侶には一切責任はありません。

 

どちらを選んでも、選んだのはあなたですから、

「自由であるためには、どんな結果になっても誰も責めないという覚悟が必要です」。

最初は、誰のせいにもできず心もとないかもしれません。

しかし、この覚悟を持って判断する癖をつけますと、心に実に自由で爽やかな開放感が広がることでしょう。

 

 

アサーションはマインドフルネスです

 

自分の正直な気持ちを率直に表現すること、すなわちアサーティブな表現はマインドフルネスに通じます。

判断や思惑を排して、今の自分の気持ちを素直に感じることがマインドフルネスだからです。

 

仮に、寂しいという気持ちが生じたとします。

「私は今は寂しいと感じている」とそのまま受け止めることがマインドフルネスです。

この気持ちを分析する必要はありません。

「私は今は寂しいと感じている」という素直な気持ちをそのまま受け止めれば良いのです。

 

 

よくないのは、次のように気持ちをいじることです。

「私は今は寂しいと感じている」

「私はすぐにメールを流したのに、あなたから返事がないから私は寂しいんだ」

「メールが届いたら、あなたはすぐに返信すべきだ」

「メールが届かないのは、あなたが私を大切にしていないからだ」

「私はあなたから嫌われているに違いない」

「あなたとは別れるしかない」

 

わざと極端に書いてみました。

最初は「私は今は寂しいと感じている」と感じただけなのに、結論が「あなたとは別れるしかない」になっていることにお気づきのことと思います。

いきなり「あなたとは別れるしかない」、あるいは「私を寂しい思いにさせたあなたが悪い」と伝えると喧嘩になりますね。

次に相手に会ったときに、「私はメールがなくて寂しかった」という正直な気持ちをそのまま伝えればよいだけなのです。

相手は「メールを返信しないタイプなんだ」と答えるかもしれませんし、「あ、見過ごしていた」と答えるかもしれません。
あるいは、「寂しく思っていたんだね。ごめん」と答えるかもしれません。

どう答えるかは、相手の領域です。
あなたにできることは、相手に自分の正直な気持ちを伝えることだけです。
そして、それがベストです!

 

自分の気持ちを大切にし、率直に表現したいものですね。

 

留意点

「あえて表現しない」という選択もありです。

その方があなたにとって都合がよければ、なんでもかんでも表現する必要はありません。

表現するか表現しないか、どちらを選ぶかは自由です。

この自由もアサーション権です。

私が申したいのは、「表現するならば素直に率直に」ということです。

 

 

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1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

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12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!

13.映画「ありがとう、トニ・エルドマン」にみる父と娘

14.気持ちを素直に伝える。これがアサーションという権利

 

 

 

 

 

 

 

 

13.「ありがとう、トニ・エルドマン」にみる父と娘

こんにちは。

秋本番。

皆さんがお住まいの地域は晴れていますか?
こちらは、秋晴れですよー。

今日11月1日は、二つの記念日だそうです。

・灯台記念日

・計量記念日

 

心に灯をともしましょう。

まずは、灯台記念日について。

 

(画像引用:海上保安庁長官賞作品

 

Here are two pictures of the lighthouse I took in my hometown.

 

私の知人のお父さんは雪国の灯台守(とうだいもり)でした。

調べてみますと、
かつては250箇所の灯台に職員さんが常駐していましたが、
2006年12月5日をもって最後の有人灯台であった女島灯台(長崎県五島市)が無人となったそうです。

以下は灯台萌えの方へ。

日本の灯台50選(灯台を所管する海上保安庁が募集)
「燈光会サイト」
邦画「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年 木下惠介監督)
・同上の「主題歌の歌詞」

 

あなたの心を計りたい。

 

次は、計量記念日について。

 

(画像引用:日本計量振興協会

 

ちょっと、家にある道具を思い出してみました。

・定規とメジャーと分度器
・体重計と体温計と血圧計と湿度計
・容量計量器
・水道メーターと電気メーター
・時計

私には想像すらできませんが、プロの方々は業種に合わせて色んな種類の計測器をお使いなのでしょうね。

思春期の頃、好きな同級生が自分のことをどう思っているか気になりませんでしたか?
そんなときに、相手の気持ちが分かる計測機器があったら便利だと思っていました。
任天堂のラブテスターみたいな機器です。

(画像引用:ヤフオク)

 

以下は、計り萌えの方へ。

「なんでもはかってみよう」コンテスト最優秀作品賞
うそ発見器

 

洋画「ありがとう、トニ・エルドマン」。

 

今回は映画「ありがとう、トニ・エルドマン」に登場する父娘の姿を通して、セルフコンパッションについて考えたいと思います。

(引用を明記していない画像は、公式サイト又はフリーソフトです)

 

主人公は父娘の二人です。

 

 

 

娘イネスは、30歳代のコンサルタント。
母国ドイツからルーマニアに転勤中です。

 

 

一方、父親トニ・エルドマンは、仕事一辺倒の娘が気になってしょうがありません。

(正確には、父の名はヴィンフリート。
トニ・エルドマンは自ら名付けた仮名です。)

 

 

もちろん、イネスはトニ・エルドマンにうんざりです。

映画は、最初から最後までこの二人の交流を丁寧に描いていきます。

詳しくは、公式サイト「ストーリー」を。

 

お前は生きているのか?

 

イネスの顧客は、ルーマニアの石油掘削会社。

掘削施設の保守運営部門を「外部委託するか否か」を顧客に提案するのがイネスのミッションです。

外部委託するならば、社員数百名の雇用は打ち止めとなります。

石油掘削会社の経営者は、今後の財務状況と労働組合の反発の間で右往左往します。

イネスはその経営者の顔色を伺いながら、提案内容を二転三転させます。

 

 

元々は音楽が好きでおおらかだったイネス。

今や仕事一辺倒、顧客に振り回される毎日です。

時に弱い立場にある人々を「あちら側の人扱い」しているイネスの姿をトニ・エルドマンは驚きの表情で見つめ続けます。

そして、ある日。

「お前は生きているのか?」
とイネスに向かってつぶやきます。

「お前は生きているのか?」の台詞についてはブログの最後に注釈を記します)

 

マインドフルネスにつながる台詞

 

「お前は生きているのか?」。

台詞が台詞だけにドキッとします。

しかし、父のつぶやきにイネスは顔色ひとつ変えません。

この場面、
イネス役の女優ザンドラ・ヒュラーと監督マーレン・アデの技が光ります!!!

 

監督マーレン・アデ

 

イネスはやるべき仕事に一生懸命です。

いいことですね。

でも、刻々と様変わりする顧客の思惑を考えるあまり、自分が自分であることを疎かにしています。

 

「お前は生きているのか?」

これは、「今の自分に立ち返りなさい」というマインドフルネスの基本を示す言葉だと私はとらえました。

 

今、あなたはあなた自身を生きていますか?

 

 

 

上記とアイキャッチ画像は、トニ・エルドマンの被り物、精霊のクケリです。
以下は、公式ページの説明。

ブルガリアで毎年1月から3月の間に行われる伝統的な祭りの際に着用される被り物。イネスの誕生日パーティーに登場する。
その昔、新春になるとブルガリアの様々な地域で、クケリに身を包んだ人々が、腰に付けたベルを鳴らしながら家々を訪れ、悪霊退治や家族の健康を祈っていた。現在もこの文化を継承している地域がある。日本の「ナマハゲ」に近い存在である。クケリは、五穀豊穣、子孫繁栄など幸せを運ぶものの象徴として今なお親しまれている。

以下は、クケリ萌えの方へ

ふっさふさ の もっこもこ! ブルガリアの奇祭クケリ!
日本のなまはげ
男鹿半島へ、本物の「なまはげ」に会いに行く

 

 

 注釈

「お前は生きているのか?」と私は受け止めていますが、
いくつかのブログを拝見しますと、「お前は人間か?」となっていました。
「お前は人間か?」が正しいのかもしれません。
今度DVDを借りて確かめてみますね。

 

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11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!

13.映画「ありがとう、トニ・エルドマン」にみる父と娘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!

こんにちは。

9月の中ごろから過ごしなり、下旬からは昼も肌寒くなりましたね。

最近は売り場の新米が誇らし気です。

 

先週の土曜に、ブックオフで500円の古本を買いました。
(最近は古本といわずにリサイクル本と呼ぶのでしょうか)

『自分の気持ちをきちんと〈伝える〉技術」(平木典子著、PHP研究所、2007年6年8日)。

今回は、この本を参考にして、4つの思い込みについて質疑応答形式にて記しますね。

(私の勘違いや理解不足が多いかもしれません。平木さん、ご勘弁願います)

 

思い込み、その1。

「多くの人から好かれたほうが良いですか?」

 

「人を不愉快にしないように」

「どんな人からも好かれるようにしなさい」

と家庭や先生や新入社員研修で言わ続けて、そう思っている方々がいます。

 

私もそうでした。

人から嫌われないようにと気を遣いました。

これって、疲れるのです。

疲れを通り越してイライラするときもありました。

なんだか自分が人の召使みたいに感じられてきて、、、、、。

 

 

現実を冷静に考えますと、

多くの人から好かれることは無理ですし、皆から嫌われないことはあり得ない話です。

不可能な話です。

あり得ない空想(理想???妄想???)に縛られていたことに気付きました。

 

どんなに頑張っても、半分くらいの人から好かれればよい方です。

そして3割くらいの人とは反りが合いません。

これが事実です。

 

この事実に抗って、良い人であるよう頑張る必要はないのです。

多くの人から好かれなくても良いし、何割からの人から嫌われても良いのです。

皆から好かれる役割をあなたが担う必要は全くありません。

その役割は天使さんに譲りましょう。

 

 

 

思い込み、その2。

「人を絶対に傷つけてはいけないのですか?」

 

「人を嫌な思いにさせてはいけない」

「自分が傷つくのがいやなように、人を傷つけてはいけない」

 

私は長らくそう思ってきました。

故意に傷つけることは多くはなかったと思います。

しかたなく結果として相手が傷つくことは多かったと思います。

相手が元気がなさそうですと、「もしかしたら自分の言動によって、彼女が傷ついたのではないか」と気に病みました。

時には、「誰も傷つけたくないから人と深くかかわることは止めよう」と思ったこともありました。

でも、人が人としてこの世で生きる限り、つい人を傷つけてしまうことは誰にでもあることと思います。

逆に申すと、人を傷つけることなく生活することはできません。

人はどんなことで傷つくか分からないものですから。

 

 

もし相手を傷つけたら、どうすればよいか?

・傷つけたことを認めて相手に謝ること。

・同じ失敗を繰り返さないよう努力すること。

この二つを淡々と行えばいいのです。

 

故意でなければ、誰のせいでもありません。

貴方は罪悪感を持つ必要はありません。

傷つけ傷つられることは、社会で一緒に暮らすには避けられない事実ですから。

 

傷つけることを恐れるあまりがんじがらめになるよりも、傷つけた後どうのようにフォローすればよいかを工夫しましょう。

誠実に相手に向かえば、きっと修復する方法がみつかることでしょう。

もし修復できなければ、それはそれとして受け入れてください。

体験から気付いたことを今後に活かせばよいのです。

 

最後に、気を付けていただきたいことを記します。

人を傷つけないように細心の配慮をなさっている人は、時として配慮不足の方を内心責めていることがあります。

こういう方は息苦しいことと思います。

自分を許してみませんか?

自分を許すことができると、人を責めずにすみますから。

 

もしも相手の無配慮によってあなたが極度に傷ついていたならば、そのことを相手に穏やかに伝え、自分の気持ちを理解していただけるようお願いしましょう。

責め口調ではなく、お願いするという態度がよろしいですよ。

 

 

 

思い込み、その3。

「人は失敗してはいけないですか?」

 

「ちゃんとやりなさい」

「うまくいかなかったら、どうするつもりですか?」

こんな言い方って、家庭でも学校でも職場でもしばしば聞きますね。

 

時には、

「失敗すると貴方自身が困るよ」

「貴方が失敗で困らないために、貴方の為に心を鬼にしてわざわざ言ってあげてるの」

と優しそうな表情で言う人もいますね。

 

本心では、

「うるさい!」

「失敗しても私のことだから、放っておいてよ」

と思いながらも、黙ってしまうことが多いものです。

そして、やってみたいことを断念して動けなくなります。

 

こんな時はモヤモヤしませんか?

モヤモヤを通り越して、慣れきって諦めている方もいらっしゃることでしょう。

人から「失敗しないで」といわれる前に、自らチャレンジすることを避けてる方もいらっしゃると思います。

 

 

実は、失敗ってしても良いものなのです。

これを読んで、なんだと思われる方もいるでしょう。

分かり切ったことだ、と思われた方もいらっしゃることでしょう。

 

更に踏み込んで申し上げます。

失敗をする権利が人にはあるのです。

 

失敗しないようにしていると、がんじがらめになってくることに気付きます。

ちゃんとやらなくてはいけない

失敗してはいけない

よい成果をださなければ認めてもらえない人から低くみられてはいけない

こんなことにとらわれていると、ますます完全壁になり、頑張りすぎてクタクタになります。

時には、人に対してまでうまくいくことを望むようになり、パワハラに似た状況が生まれることすらあります。

 

自分が良かれと思ったことは試していいのです。

実行していいのです。

 

結果として成功する場合もあれば失敗することもあります。

成功すれば素直に喜べばよいですし、失敗したらそれを認めて出来ることを淡々とすれば充分です。

 

 

「失敗したことは全て認める」と腹をくくれば、失敗は怖くありません。

中途半端に失敗を嫌うから、失敗を恐れる気持ちが膨らむのです。

 

計画を綿密に立てた案ならば、ぜひ実行しましょう。

蛇足ながら、実行する前に計画だけは上司なり家族に伝えておきましょう。
それが大人としての義務ですから。

 

思い込み、その4。

「思い通りにならないのは駄目なことですか?」

 

「こんなに自分は頑張っているのに、評価されないどころか叱られる」

「恋人や友達や子供はこうあってほしいのに、そうならなくてイライラする」

「一層のこと、おジャンにしたい」

 

自分の思い通りにいかないことって多いですね。

 

 

よくよく考えますと、思い通りにいかないと嘆き怒る人は、人を自分の思い通りにさせたがっている人が多いように思います。

人を責め、相手を変えたがっている人です。

 

しかし、物事はそもそも自分の思い通りにはならないです。

これが世の習いであり事実です。

 

人も同じこと。

いくら望んでも、人を変えることはできません。

自分と人とは別人格です。

育った環境も違えば、好き嫌いや考え方が違います。

そんなバラバラな人が一緒に生きているのですから、自分の思い通りにならなくて当たり前です。

 

人を変えることはできませんが、自分を変えることはできます。

過去を変えることはできませんが、未来を変えることはできます。

思い通りにならないことに心が波打ったときは、この事実に立ち返り気持ちを穏やかにさせたいものです。

 

なお、人に「変わってほしい」ということをお願いしてみることはできます。

人が貴方の意見に賛同してなるほどと思った場合は、変化することもあり得ます。

ただ、相手が変化したとしても、それは相手が自分の意志で変わったのです。

貴方が相手を変えたわけではありません。

 

自分の意思を貴方が大切にするのと同様、相手の意思も尊重したいものです。

 

「自分は自分、人は人」という原点に立ち返り、その関係性の中でこれからどうしていったらよいかを考えることが有益だと思います。

 

 

 

思い込みに気付き、結婚に活かす

 

今まで4つの思い込みについて質疑応答形式で書いてきました。

振り返ってみましょう。

 

1.「多くの人から好かれたほうが良いですか?」

→いいえ、皆から好かれる人はいません。
八方美人にならず、自分は自分だと割り切りましょう。

 

2.「人を絶対に傷つけてはいけないのですか?」

→いいえ、人はお互い傷つけあいながら生きています。
人を傷つけないよう配慮しすぎると、配慮していない人を責めがちになります。
傷つけたら謝り、極度に傷つけられたらお気持ちを相手に伝えましょう。


3.「人は失敗してはいけないですか?」

→いいえ、失敗する権利があります。
失敗を受け入れ、再チャレンジしましょう。

 

4.「思い通りにならないのは駄目なことですか?」

→いいえ、人も物事も思い通りに行かないのが世の常です。
相手や環境を変えようとせずに、自分ができる範囲で工夫しましょう。

 

 

ストレートに私の考えを書いてみますね。

賛否両論あるかとは思いますが、ご一読願います。

・お会いした相手全員に好かれることは無理です。
結果としてお一人から好かれれば充分です。

・人を傷つけないようにと過剰に配慮するのは止めましょう。
そのほうが、あなたも相手にとっても楽な付き合いができます。

・失敗を避けていると出会いを逃してしまいます。
失敗したという事実をありのまま受け入れれば、失敗は怖くありません。
失敗は許されていますので、失敗を恐れず今を楽しみましょう。

・上手くいかないことも多いことでしょう。そんなものです。
相手を恨み過去を悔やんでもどうにもなりません。
自分の考え方や行動のみ変えることができます。
無駄な力みを捨てることで、新たな出会いが待っているかもしれません。

 

 

セルフコンパッションに関する今までの投稿一覧

 

1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

2.私が今ここにいる意味と『病者の祈り』

3.今を生きる

4.「棚上げ」という魔法

5.母を亡くしました

6.認知症だった母への罪悪感

7.罪悪感を手放す具体的な方法

8.罪悪感と怒りとは同じものかもしれません

9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉)

10.対話は、理解よりも共感が大切! -書籍と映画を通じて-

11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!

 

 

 

11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

こんにちは。

9月に入り少し過ごしやすくなりましたね。

しかし台風の季節でもあります。

気象警報にお気をつけくださいませ。

(9月5日追記:昨日の暴風雨、大丈夫でしたでしょうか。
こちらは観測以来2番目の強風でした)

(9月6日追記:今日未明の北海道地震、停電が速やかに復旧されますように)

(9月10日追記:「北海道のほぼ全域に及んだ停電は、8日夜までに99・9%にあたる約294万9千戸で復旧した。ただ電気の供給はなお綱渡りで、政府は2割のs節電を呼びかけた。検討中の計画停電は10日までは見送る。11日以降に踏み切る場合、2日前までに知らせる。」 引用:2018年9月8日22時43分朝日新聞DIGITAL)

(10月3日追記:北海道観光への補助が始まりました。→「日経新聞9月28日」記事

 

 

今回は「自己責任論とセルフコンパッション」について考えてみます。

 

人の失敗や弱さを責める言葉。

 

こんな言い方を聞いたりネットで見かけることが多くありませんか?

(注意:言い方を強調して書きました。気持ちが沈んでいらっしゃる方は、この章をご覧にならず次の章まで飛ばしてくださいね)

 

 

・「あの人、変りもの。だから浮いても仕方ないよ」

・「働かざる者、食うべからず」

・「置き引きにあったのは、荷物から目を離した貴方が悪い。忙しい警察を煩わすのは気の毒だよ」

・「ウツになる人は考え方が悲観的だったり、仕事のやり方が下手なだけ。上司や職場の環境のせいにするのはお門違いだ」

・「政府の警告を無視して紛争地帯に入って拘束された人を、税金で助ける必要はない」

・「チャンスはあったはずなのに、それを見逃しておいて、今さら文句を言う方がおかしい」

・「仕事を選ぶから正社員になれないだけ。贅沢言わずに、なんでもやるという気持ちさえあれば正社員になれる」

・「ブラックな企業を選んだのは本人の責任よ」

・「努力不足なのに、公的支援で生活するのはいかがなものか」

・「自力で生活できない人って自分自身に原因があるのだから、国は支援を与える必要はない」

・「人に頼るな」

・「自分の身は誰も守ってくれないよ。自分で守らなきゃ」

・「みんなに合わせないから、あんな目にあうんだよ。自業自得だわ」

・「そんな立派な主張をする前に、貴方がどれだけ周囲に迷惑をかけているか考えてごらん」

・「事業を興こしたのは自分の意思だ。その商売が上手くいかなかったのは、その人の責任よ。周囲が支援する必要はない」

・「決まった期間に手続きをしなかったのは貴方の事情でしょ。今さら言われても仕方ないじゃない」

・「生活保護を受ける人は頑張りが足りないだけよ。私なんか嫌なアルバイトに耐えて頑張っているのに」

・「高利の投資によって被害をこうむったからといって、経営者だけを責めていいものだろうか。むしろ、怪しげな話に飛びつく人が悪いんだ」

 

これらの言葉の後には「自己責任だからね」という言葉が加わることが多いものです。

私はこんな言葉を言われると、胸がキュッとしめつけられるような、ナイフをグサッと突きつけられたような気持ちになります。

直接言われなくとも、周囲の会話を聞いたり文章を読んだだけでも、心が痛みます。

 

皆さんはいかがですか?

なかには、このようなことを言われたらどうしようかと怯えていらっしゃる方、あるいは言われないように人を避けている方もいらっしゃることと拝察します。

 

「自己責任」の意味を調べました。

 

そもそも、「自己責任」という言葉はどんな意味なのでしょうか?

 

 

まずは、ネット辞書を検索してみました。

・「デジタル大辞泉」と「goo辞書」では、
 、自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
 、自己の過失についてのみ責任を負うこと。

・「weblio辞書」では、
自分の行動の結果として危機に陥ったのなら、自分で責任を負うべきであり、他人に助けを求めるべきではない、といった論理を基調とする考え方。
危険であることが事前に予測できたにもかかわらず、危険を顧みずにに敢行したのだから自業自得だとする考え方。

一方、紙媒体の辞書には「責任」という言葉はありますが、「自己責任」という言葉は見つかりません。

ということは、「自己責任」という言葉は用法が確定/定着していなく、ある意図で用いられる言葉ではないかと推測されます。

(先の画像は私が使っている「明鏡国語辞典 携帯版 初版第八刷」です。
もしろん「自己責任」は載っていなく、「自己」の用法に「自己の責任・自己満足」とありました)

では、この「自己責任」という言葉を使う人々は、どのような意図があるのでしょうか?

 

【一休み】

邦画「舟を編む」は、辞書作りがテーマです。
松田龍平さん、宮崎あおいさんをはじめ、キャストがピッタリの映画でした。
原作は三浦しおんさんの同名小説です。

 

「自己責任」のイメージです。

 

 

まずは、私が「自己責任」という言葉から感じること、および「自己責任」を使いたがる人々への印象を羅列します。

 

 

1.
人を突き放すような冷たい言葉。

2.
自分がまずいことに関りたくないので、当事者だけに責任を押し付ける言葉。

3.
自分が努力していることや得意なことを、不得意な人にも強制しようとする言葉。
そして、それが出来ていない人を責めるときの言葉。

4.
「困ったときはお互い様」という度量が自分にないことの言い訳に使う言葉。

5.
周囲の人々が問題に向き合い改善策を考えればよいのに、それを考えるのが面倒だから、個人の責任に閉じ込めて見て見ぬふりをする。

6.
『出る杭は打たれる』という諺と似ている雰囲気が漂っている。
各人の特徴を拒んで、みんな一緒であることを強要しようとしている。

7.
会社と行政が責任逃れ、またはサボタージュをしたいがために、個人を悪者にしておく。

8.
政府批判がおきないように、個人をスケープゴートにしたてあげ、国民の世論をかわそうとしている気がする。

9.
『他人に迷惑をかけないように』という言葉を振りかざし、弱さゆえ失敗ゆえに「迷惑をかけざるを得ない状況になった人」を非難する。

10.
自分を安全地帯に置いたまま社会の現状から目を背けて、あたかも自分が善人であるかのごとく発言する。

11.
「自己責任」という言葉を安易に使用する人は、社会問題を深く検証しようとせず、また十人十色である人間の気持ちと背景に想像を至らせない。

12.
「規制緩和」・「新自由主義」・「郵政民営化」が論じられていた1990年代後半から、それら言葉とセットで多用されるようになった言葉。

13.
やむにやまれぬ事情を考慮することなく、「ルールですから」の一言で一刀両断し、事情の背景を考察しようとしない。

14.
試合が終わったのに、いつまでも人を批評する審判。

 

なんだか、私のうっ憤を晴らしているみたいですね。

私も1~14のうち幾つかは、時として当てはまることがあります。

だからこそ、イメージが浮かぶのでしょうね。

 

(ご留意願います)

「責任」ということを決して軽視してわけではありません。

「責任を取る」・「責任感を感じる」・「責任を負う」とは、
「自分がリスクをわきまえたうえで行動したならば、仮にマイナスの結果となったとしても、他人や環境のせいにせずにまずは結果に対して自分で責任を負う」
ということです。

「責任」を尊重する考えと態度は、社会の中でお互いが生活するうえで前提となる基本です。

もしも「責任」を放棄し他人や社会が悪いというならば、人間関係と社会生活はたちどころに崩れ去ることでしょう。

ここで私が問題としているのは、「責任」という言葉に「自己」という言葉を加えて「自己責任」と言うことです。
その結果、「自己責任」という言霊を利用し個人を責めることによって、本来の責任主体に霞をかけているのではないかということです。

 

「自己責任論」の正体とは?

 

(画像引用:「美味しんぼ」

 

「村八分」になりたくないために「世間体」を気にし、是非を考えずに周囲に同調してきた人々がいます。

その人々は自らの中に鬱積した妬み(ねたみ)を抱えています。

その妬みを正当性を装って発散する方法として「自己責任」という言葉を振りかざすこと、それが「自己責任論」の正体だと考えます。

「自分は周囲の方と足並みをそろえることに気を配り真面目に頑張っているんだ。
それなのに努力する割には報われていないではないか。
将来が不安で、今さえもどこか心もとない。」

こんな矢切り切れなさと不満を心の奥底に持っている人々が、誰かを責めることで留飲を下げているのでしょう。

ある意味ではもっともな心理なのかもしれません。

 

「自己責任論」を利用する側とは?

 

 

今は、こんな時代です。

・高度経済成長とバブルが終わりリーマンショックを経て、低金利とデフレの経済状況です。

・グローバル化・IT化(AI化)という得体のしれない言葉が日常用語のように飛び交っています。

・戦後長く理念としてきた「民主主義」「自由・平等・友愛」「国際主義」の意味が、是非を話し合って検証する作業を充分しないないまま、なし崩し的に変容しつつあります。

・個人の財布については、所得の相対的格差は広がる一方です。

・メディアには、パワハラ・セクハラ・モラハラに関する記事が毎日のように載っています。

・目を海外に向けますと、中東情勢・東アジア情勢の更なる混迷の中、EUとアメリカ合衆国の民族主義的孤立主義が台頭しています。

 

自分が何を信じて、何を指針として生きていけばよいのか自信が持ちにくい時代です。

心のどこかで違和感を感じながらも「自己責任論」はもっともだと感じ人を責めてみたり、逆に自分自身の身を責めてみたり、、、、、。

実に不安な時代ですね。

 

こんな時、私はこんなことを考えるようにしています。

「流行り言葉の裏には必ず、その風潮を利用して得をする人々がいるのではないか?」です。

前々章の「「自己責任」のイメージです。」で述べました通り、私たちが生活をする日常にも「自己責任論」をよりどころにして言動を正当化する場面は多くみかけます。

ただ、それは個人の言動にすぎません。

私がここで考えますのは、個人ではなく、組織が持っている権力を利用して「自己責任論」を会社や個人に押し付ける勢力のことです。

会社に対しては許認可や行政指導権限を持つ官僚制度(行政)を利用し、個人に対してはマスコミの世論形成を利用する勢力です。

あるいは、「村八分」に代表される同調圧力が厳しかった監視社会の精神性を利用する勢力です。
協力や助け合い文化は大切なのですが、その美名のもとに除外された人々がいかにおおかったかに心に留めておきたいです。

 

しかし、ここは「セルフコンパッション」について語るサイトですで、ここで話を打ち切ることとしますね。

 

「自己責任論」を振りかざされて、貴方が凹んだ時は「セルフコンパッション」を思い出して。

 

人から、特に仲が良いと思っていた知人から「それは自己責任よ」とズバッと言われた時は凹みますね。

自分が置かれた立場と悩みを理解してほしい時に、「人に期待せずに貴方がもっと頑張れば良いのよ」と責められると、数日間は立ち直れない気持ちになります。

 

 

そんな時は、「セルフコンパッション」を思い出してください。

 

・まずは、固定ページの「その1.「自分自身に優しくする」Self-Kindness」

「貴方を責める人がいたら、『そういう人もいるんだな』くらいに受け止めるだけにでいいよ」
→「あなたは、難しい環境の中でよくやっているよ」
→「だから、貴方は今のままで充分だ」。

「人が勝手に決めつける『自己責任論』におびえる必要はありません」
→「『自分は自分のものなのです』。自分を評価するのは、『人』ではなく『自分自身』のですから」。

 

・次は、固定ページの「その2.「自分も人も共通」Common Humanity」

「自己責任論を声高に唱える人は、もしかすると、自分が何かで責められていてストレスを抱え、他人を責めることで発散させているだけかもしれない」
→「責める側も結局は責められる側と同じなのよ」
→「むしろ、こんな世になかの風潮が問題なだけ」。

「『あなたの責任だわ』といわれている人ってとても多いです」
→「人が生活するには、性格・仕事・金銭・人付き合い・健康のように幾つもの領域と関わります。すべてにおいて誰からも責められていない人なんか一人もいなのよ」
→「だから、自己責任を問われた時は『はい、気を付けます』とだけいって、その場からすぐに立ち去るのが賢明よ。そして、誰でもこんなことを言われているのかしらと思えばいいだけ」。


・最後に、固定ページの「その3.「ありのままの自分を観る」Mindfulness」

「世相は変化していきます。その端的な例がありますね」
→「最初は、イラクに行った若者たちを政府幹部は『自己責任論』で問いつめ、世論を結果として誘導しました」
→「しかし、パウエル米国務長官が『かれらを責めて良いわけではない』『日本人は、そのようなことを進んで引き受けた市民を持っていることを大いに誇りに思うべきです』と発言した途端に、政府幹部は静かになりました」
→「自己責任論とはこの程度のものです。時の情勢によって、ころころと変化するものです」
→「だからこそ、アレコレと考えることは止め(だいたいにおいて考えると自分を責めることになるから)今の自分を大切にするのが良いですよ」

 

結婚と自己責任

 

お付き合いしている相手と上手くいかないとき、

ご結婚した相手に責められるとき、

「相手が私を責めるのは、私がわるいのだ」

「私が至らないから相手がイラつくのだ」

「相手が怒るのは、私が原因だ」

と感じることがありますね。

 

特に自己肯定感が低い方は、上手く行かないという事実を前にして、自分を責めがちです。

 

しかし、客観的にみると、貴方が原因ではなく、相手が原因であることが多いものです。

言い換えると、相手から責められたという事実が目に前にある場合、その事実の原因は責められる側にあるのではなく、責める側にあることが多いものです。

 

時には、共依存に陥っている場合があります。
→「マイナビウーマン」のサイト
「ウィキペディア」のサイト

 

自分が悪いのではないかと感じた時には、

前章で申し上げた通り、自責感情をセルフコンパッションで乗り超えて欲しいです。

それがなかなか上手く行かない場合は信頼できる方複数名に相談してみましょう。

 

 

 

セルフコンパッションに関する今までの投稿一覧

 

1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

2.私が今ここにいる意味と『病者の祈り』

3.今を生きる

4.「棚上げ」という魔法

5.母を亡くしました

6.認知症だった母への罪悪感

7.罪悪感を手放す具体的な方法

8.罪悪感と怒りとは同じものかもしれません

9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉)

10.対話は、理解よりも共感が大切! -書籍と映画を通じて-

11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10.対話は、理解よりも共感が大切! -書籍と映画を通じて-

こんにちは。

夏の甲子園100回大会、全出場校が出そろいました。

今年も熱戦が楽しみです。

(画像引用:高校野球ポスター甲子園の受賞全作品

 

試合結果については、次のサイトが便利だと思います。

日本高等学校野球連盟

NHKサイト

朝日放送サイト

パソコン中継のサイト

 

子どもとの会話がぎくしゃくしています。

 

子どもから私がたびたび言われる言葉があります。

 

それは、

「私のことを何も理解してくれないくせに、分かったようなことを言うな!」

 

「そうかなあ、分かっているつもりだけど」と答えると、
「あんた、それでも親か?。私がどんなに辛い思いで生きているのか分かっているのか?」。

グサッ!

ギクッ!

ウウッ!

 

何かの折に「子どもとの会話が上手くいっていない」と職場でつぶやきました。

すると、ある方が一冊の本を貸してくださいました。

これです ↓

(画像引用:Amazonの書籍案内

 

題名は『人の話を「聴く」技術』。

 

編著者はこちら→メンタルケア協会

この協会の顧問は『バカの壁』で有名な養老孟子さん

そして、協会が認定するのが「精神対話士」という初耳の資格です。

 

むさぼるように読みました。

 

『人の話を「聴く」技術』の内容です。

 

この本、目次は65項目あります。

目次を幾つか列挙することで、本の案内とさせていただきます。

 

「02:ただ聞くのではなく、心で聴くことが大事」

「03:対話には、理解よりも共感が必要」

「04:気持ちが受け止められたとき、話し手は十分な満足を得る」

「05:共感とプラスの言葉が生きる希望を生み出す」

「09:容易な理解を示すと、話し手の信頼を失う」

「10:早急な助言は、相手の反発を招く」

「14:相手の言葉を丸ごと受け止めてあげる」

「17:対話が本心を探り当てたとき、人の気持ちは180度変わる」

「23:純粋に相手の言葉だけに耳を傾ける」

「24:説得して人を動かそうとしないこと。話を聴いてあげれば、心は自然と動く」

「25:同意できない話でも共感は十分にできる」

「38:苦労話を聴いて、相手の活力を引き出す」

「39:助言する前に、相手の不安を受け止める」

「43:頑張れ!と言わないで励ます傾聴術」

「47:対話で大切なことは、話の真偽ではなく、相手の本当の気持ちを見つけること」

「59:同じ話をしては怒りを爆発させた青年をカタルシスへと導いた精神対話」

「60:話の核心を求めないほうがいい対話もある。不安や不満を十分に受け止める傾聴術」

「64:孤独感を取り除けば、絶望は生じない」

 

「意味情報」と「感情情報」。

 

『人の話を聴く技術』では、人と人の間で取り交わされるメッセージを二つに分けています。

 

ふつう私たちが日常で会話するときには、その言葉に二種類のメッセージが込められています。「意味情報」と「感情情報」と呼ばれるものです。

 

相手の話を「意味情報」だけで理解した場合、次のような返事になっていませんか?

「それは〇〇だ」、「〇〇という風に考え直せばよいよ」、「〇〇は止めて、〇〇したらよい」という返事です。

これは、相手の言葉の中にある「感情情報」を受け止めていない時に生じます。

相手の発言内容を理屈で幾ら理解しても、話し相手は「自分が理解された」という気持ちにはなりません。

自分をありのまま理解してくれてこそ、共感されたという安心感が生まれると思います。

相手の話を「意味情報」だけではなく「感情情報」で理解し共感しようとすると、お互いが安定した関係になることでしょう。

 

子が発する言葉を「感情情報」だと受け取らなかった私。

 

私と子どものケースでいえば、子どもの辛さを「意味情報」として理解し理屈でアドバイスをしていたのだと思います。

子どもからすれば、自分の悩みや困難さを受け入れてくれてもらえずイライラだけが募ったことでしょう。

子どもが発していた「感情情報」を私は受け止めていなかったのです。

と気付きましたが、子どもと親との関係は難しいものですね。

 

次章では、難しい親子関係をテーマにした映画をご紹介します。

 

映画『君はひとりじゃない』~父と娘の関係~

 

最近、『君はひとりじゃない』というポーランド映画を観ました。
公式サイト

 

(画像引用:公式サイト)

 

摂食障害の娘にどのように関わったらよいか分からず戸惑うお父さん、そしてお父さんを拒絶する娘。

解説サイト→Filmarks

この解説サイトに、投稿されていた文章を一部引用します。

概ねダメでも、全くダメなわけではない
解決策が見つからなくても諦めなくてもいい
手遅れかどうか、最後まで分からない

親子の関係は、親が子どもにかかわり続ける限り、どこでどうなるか分からないものですね。

 

映画『ありがとう、トニ・エルドマン』~父と娘の関係~

 

次はドイツ映画をご紹介。

『ありがとう、トニ・エルドマン』

 

(画像引用:公式Twitter

この映画も父娘の気まずい関係性がテーマになっています。→解説サイト

お父さんについて、このサイトでは次のように記されています。

(町山智浩)で、これがまたウザいんですよ。このお父さんのイタズラが。そんなに面白くないんですよ。

(赤江珠緒)ああ、そうなのね(笑)。

(町山智浩)そう。で、ギャグをいっぱいやるんですけど。このお父さんっていうのは娘がいるんですよ。娘さんはもう35を過ぎているイネスという一人娘なんですね。で、このお父さんは非常に生活能力の低いお父さんで、だいぶ前に離婚されちゃっているんですよ。で、ずっと会っていないんですね。で、お父さんは小学校の音楽の先生をやっているんですが、あんまりお金儲けに興味がなくて、ボロボロの家にワンちゃんと一緒に1人で住んでいて。ちょっと世捨て人っぽいんですよ。

(赤江珠緒)うんうん。

(町山智浩)で、娘のところにたまに行っては、くだらないジョークを言うんで。離婚しているお母さんの家にいる娘のところにね。すごくウザがられているんですよ。

(赤江珠緒)ちょっと面倒くさいタイプですな。たしかに(笑)。

(町山智浩)面倒くさいタイプなんですけど、これね、オヤジギャグを連発する人なんですよ。この人。

子どもにとっては、実に困ったお父さんですね。

 

とはいえ、

子どもにとっては不器用で迷惑な親の関り方であったとしても、「自分のことを心底思ってくれている」といつか子どもに伝わるものだと信じたいです。

親子の関係は、もともとが不格好なものなのかもしれません。

この不格好でみっともない取っ組み合いの中で、子どもと私との関係が築かれますようにと思います。

 

この映画とセルコンパッションとの関連については、
こちらをクリック→映画「ありがとう、トニ・エルドマン」にみる父と娘

 

映画『普通の人々』~母と息子との関係~

 

最後に、映画『普通の人々』。

アカデミー作品賞・監督賞・脚本賞・助演男優賞を獲得した1980年のアメリカ映画です。

 

(画像引用:Amazon)

 

この映画、少なくとも5回は観ました。

最初は名画座で2回立て続けに。

解説サイト→Movie Walker 

前述映画2本は父娘の関係でしたが、『普通の人々』はお母さんと息子の関係が描かれています。

お母さんの息子への言動の感想は、「えっ!」と「分かる!」に二分されると思います。

人気男優ロバート・レッドフォード、最初の監督作品でした。

・人気作品ランク→映画ランキングサイト

・作品リスト→allcinemaサイト

・イケメン→gettyimagesサイト

 

 

 

親子、夫婦、友人、職場、みな同じ。

 

とことん聴くという方法は、親子関係だけでなく夫婦・友人関係、さらに職場でも活かせます。

本の例を拝借しながら書きたいと思います。

職場の同僚が「昨日は夜中の11時までかかってこの報告書を書き上げたんだ」と貴方に声をかけてきたとします。

あなたはどんな返事をしますか?

「報告書の締め切りが先だから、そんなに慌てなくてもよかったのに」。

「丁寧に書きすぎるから時間がかかるんだよ。要点だけ簡潔に書けば楽だったのに」。

といった返事をなさっていませんか?

一方、同僚の「感情情報」に視点を切り替えてみます。

「夜中の11時までかかってこの報告書を書き上げたんだ」という言葉は単なる報告ではなく、『自分の頑張りを認めてよ』という思いが奥にあると思うのです。

「お疲れ様だったね。そんなに頑張ったんだから立派なもんだよ」という労いを同僚に第一声として返せば、同僚は報われた気がするものです。

 

 

夫婦の会話ではなおのこと「感情情報」が大切ですね。

妻が待つマンションに仕事で疲れた夫が帰ってきた場面を想像なさってください。

「今日ね、マンションの壁にひびが入っているのに気づいたから管理組合に伝えたの。そしたらね、、、、、、。ねえ、貴方はどちらの改修方法が良いと思う?」と妻が夫に畳みかける場面です。

妻の問いかけは「どちらの改修方法が良いと思う?」ので、夫は改修方法を尋ねられたものだと感じ「A案でいいんじゃないの」と答えます。

妻はそれを受け、「でもA案だと、、、、、、、」と話が延々と続きそうです。

しかし、「感情情報」は何か考えるならば、「よくひびに気付いたね。管理組合に伝えてくれてご苦労さん。慣れないことで大変だったね」とまずは一言添える答えの方がよろしいと思います。

すると、妻は満足しそこそこで話切り上げることでしょう。

 

次は、夫がいつになく無口で不機嫌だった場合です。

妻は夫に「貴方、なんで黙っているの? 黙っていないで何かしゃべってよ」と言いたくなりますね。

こんなとき、「貴方、今日は疲れているように見える。職場で困ったことがあったの?」の一言がありますと、妻が自分の立場に立ってくれたように夫は感じます。

「実は、、、、」と喋りやすくなるものです。

 

 

「マインドフルネス」で今を受け止めよう。

 

「意味情報」だけではなく「感情情報」も同時に受け止めるには、今この一瞬この場で相手はどんな気持ちでいるのだろうかに意識を向けなければいけません。

この「今この一瞬この場で」とは、まさにマインドフルネスの発想ですね。
このサイトの固定ページ「「ありのままの自分を観る」Mindfulness」

昨日という過去、明日という未来を考える前に、今、目の前の相手がどんな気持ちでいるかに耳を澄ませたいたいです。

 

 

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1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

2.私が今ここにいる意味と『病者の祈り』

3.今を生きる

4.「棚上げ」という魔法

5.母を亡くしました

6.認知症だった母への罪悪感

7.罪悪感を手放す具体的な方法

8.罪悪感と怒りとは同じものかもしれません

9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉)

10.対話は、理解よりも共感が大切! -書籍と映画を通じて-

 

 

 

 

 

 

 

 

9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉)

こんにちは。

サッカーワールドカップ、コロンビア戦!

日本のパス回しが素晴らしかったですね。

視聴率は40%台だったそうです。

 

今回は、先日ラジオで聴いた童話を。

(アイキャッチ画像引用:新樹社)

 

『デンデンムシノ カナシミ』(新美南吉)

 

 

まずは、童話の全文を記します。

一匹のでんでん虫がありました。
ある日、そのでんでん虫は大変なことに気がつきました。
「私は今までうっかりしていたけれど、私の背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」
この悲しみはどうしたらよいでしょう。

でんでん虫は、お友だちのでんでん虫のところにやってきました。
「私はもう生きていられません」
とそのでんでん虫はお友だちに言いました。

「何ですか」
とお友だちのでんでん虫は聞きました。

「私はなんという不幸せな者でしょう。私の背中の殻の中には悲しみがいっぱい 詰まっているのです」
と初めのでんでん虫が話しました。

すると、お友だちのでんでん虫は言いました。
「あなたばかりではありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです。」

それじゃ仕方ないと思って、初めのでんでん虫は、別のお友だちのところへ行きました。

すると、そのお友だちも言いました。
「あなたばかりじゃありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです」

そこで、初めのでんでん虫はまた別のお友だちのところへ行きました。
こうして、お友だちを順々に訪ねていきましたが、どのお友だちも同じことを言うのでありました。

とうとう、初めのでんでん虫は気がつきました。

「悲しみは誰でも持っているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえて生きなきゃならない」
そして、このでんでん虫は、もう嘆くのを止めたのであります。

 

 

原文は、すべて分かち書きのカタカナで書かれています。
勝手ながら、私がカタカナを漢字にし、分かち書きをなくして表記しました。

原文はこちらをクリック→青空文庫

朗読はこちらをクリック→YouTube

 

自分だけではない。みんな悲しみを背負っている

 

ジーンときました。

初めのでんでん虫は私と同じだと感じました。

 

 

>「私は今までうっかりしていたけれど、私の背中の殻の中には悲しみがいっぱい詰まっているではないか」

悲しみがいつも自分の心を覆っているという事実に気付くことがあります。

 

>この悲しみはどうしたらよいでしょう。

悲しみをどうにかして心から追い出したいともがく日々です。

 

>「私はもう生きていられません」

この悲しみがある以上、自分は一生不幸だと暗くなることもあります。

 

>「あなたばかりではありません。私の背中にも悲しみはいっぱいです。」

明るそうに見える人、元気で何の苦しみもない人のように見えても、実はだれしも悲しみを抱いているのですね。

悲しみを持つのは自分だけではない、

みな同様なのだ、

と、でんでん虫は気付いたのですね。

 

>「悲しみは誰でも持っているのだ。私ばかりではないのだ。私は私の悲しみをこらえて生きなきゃならない」

そうなんです。

生きるとは、良いことばかりではないです。

むしろ、マイナスの出来事に出会うことが多いくらいかもしれません。

プラスもマイナスも両方を背負いながら、生という営みを続けているのですね。

 

>そして、このでんでん虫は、もう嘆くのを止めたのであります。

『嘆くのを止めた』とは、

きっと、悲しみも抱えながら生きていくということを受け入れたのだと思います。

 

 

コモンヒューマニティー:Common Humanity

 

でんでん虫の気づきは、このサイトのテーマであるコモンヒューマニティー(Common Humanity)と同じだと思いました。

悲しみと苦悩の真っ最中にいるときは、自分だけが苦しんでいると思いがちですね。

こんなとき、「自分だけじゃない」と考えるだけで、心が落ち着いてくると思います。

コモンヒューマニティー(Common Humanity)にご興味がある方は、このサイト内の固定ページ「その2.「自分も人も共通」Common Humanity」をご覧いただけましたら幸いです。

 

 

受け止める・受け入れる・受け流す

 

悲しみや苦難に出会ったとき、どのように付き合っていますか?

最初は、拒絶したり追い出そうとしたりして、私はあがきます。

次に、逃げ出そうとします。

 

でも、あがけばあがくほど、逃げれば逃げるほど、悲しみと苦難の穴に落ち込んでしまいます。

 

このとき、便利な言葉を思い出すように心がけています。

「受け止める」と「受け入れる」と「受け流す」です。

 

てんとう虫は、『私は私の悲しみをこらえて生きなきゃならない』ことにしました。

この『こらえる(堪える)』は何だか道徳的すぎる印象を私は持ちました。

 

『こらえる(堪える)』を、「受け止める」と「受け入れる」と「受け流す」に替えると、心が軽くなる印象になると思います。

「受け止める」と「受け入れる」と「受け流す」を使い分ければ良いと考えます。

 

事実は「受け止める」。

悲しい心は「受け入れる」。

人からの心ない発言や態度は「受け流す」。

 

よろしかったら、この三つの言葉を使い分けながら、悲しみと付き合ってみてくださいね。

 

 

(画像の洋画『カサブランカ』の主人公は、三つをうまく使い分けて悲しみと付き合ったと思います)

 

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9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉)

 

 

 

 

 

 

 

 

8.怒りと罪悪感は同じものかもしれません

ひらめきました。

閃きました。

ひらめいてしまいました。

 

職場に向かう自動車の中。

今朝、突然です。


「怒りと罪悪感は、同じことの裏表に過ぎない!!!」

 

私が怒るとき

 

 

あなたはどんな時に怒りますか?

私は次の二つの時です。

 

・まずは、自分の期待通りの行動を相手がしてくれないとき。

・次は、自分が頑張っているのに、相手が自分を認めてくれないとき。

 

一方、罪悪感が湧くときはどんなときでしょうか?

 

私が罪悪感を持つとき

 

 

罪悪感を強く感じる時は、こんなときです。

・まずは、自分のルールに反する行動を自分がしたとき。

・次に、自分の罪に必要以上にこだわり、自分を責めたとき。

 

怒りと罪悪感は同じかもしれない

 

 

 

怒るときも罪悪感を持つときも、根は同じように感じます。

・怒りは、相手の行動や感情をコントロールすること。

・罪悪感は、立派な理想像の自分と現実の自分とを比べること。


自分ではどうにもならない相手をどうにかしようと思ったときに「怒り」がわき、

現実にはあり得ない理想像に自分を近づけようとしたときに「罪悪感」がわきます。

どちらも、自分自身に執着しすぎてしまい客観的な見方ができていないという点では同じですね。

エネルギーが外部に向かうと怒りになり、
内部に向かうと罪悪感におちいるという見た目の違いはありますが、

頭と心の仕組みは同じだ思いました。

 

「ひらめいた」は、大仰でしたでしょうか?

そうかもしれません。

 

でも、私にはピカッとひらめいたとしかいえない体験でした。

 

 

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7.罪悪感を手放す具体的な方法

8.罪悪感と怒りとは同じものかもしれません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7.罪悪感を手放す具体的な方法について

こんにちは。

当地では過ごしやすい気候が二日間続いています。

皆さんがお住まいのところも穏やかな天気だといいですね。

 

今回も前回に引き続き、罪悪感について述べます。

 

「罪悪感を手放す方法」がテーマのサイト

 

数日前。

私、いけないことをしました。

人さまには言えないことです。

自分がこんなに悪い人間だったなんて、、、、、。

罪悪感と情けなさでずっと凹んでいました。

 

最初の二日間は、罪悪感の池にどっぷりと浸かっておりました。

 

 

三日目。

「このままじゃいけない」
「なんとか凹みから立ち直る方法がないだろうか?」
と考え始め、
『悪いことをしたとき』でネット検索をかけてみました。

すると、一番上に表示されていましたのが『罪悪感を手放す方法』というページでした。

 

ゆっくりと拝読するうちに、心が落ち着いてきました。

このサイトに出会えて良かったです。

『罪悪感を手放す方法』の作成者さま、ありがとうございます。

 

サイトに書かれていたこと(引用)と、感想を併記したいと思います。

 

罪悪感を抱く時って?

 

 

まずはサイトの引用から。

 

ちょっとした嘘をついてしまったこと、信号無視をしてしまったことから、誰かを傷つけてしまったこと、誰かを救えなかったことまで、私達の中にあるルールに違反してしまったことが原因です。

・嘘をついてはいけない

・人を傷つけてはいけない

・家族は助け合わないといけない

法律で決められていなくても、私達はこのようなルールを無意識的に感じて生きています。

ルール違反によって罪の意識を感じること自体は、あなたが『正常』であることを示しています。

 

なるほど!

長い人生の中で社会や自分が決めたルールに反した時に、罪悪感が生れるのですね。

 

ところが、時として必要以上に自分に罪の意識を感じてしまうことがあります。

法律の中でも、罪にも程度があり、罰にも程度があります。必要以上に罪の意識を感じたり、自分を罰する必要はないのです。

償いが終わったのであれば罪悪感を手放しても良いのです。

罪悪感を手放す方法をシェアしたいと思います。

 

そうなんです。

必要以上に自分を責めているのかもしれません。

『償いが終わったのであれば罪悪感を手放しても良いのです』。

『手放す』っていい言葉ですね。

なんか心が軽くなり、光がさしてきそうです。

でも、償いをする機会があるのでしょうか?
とも思います。

 

罪の重さに点数をつける

 

 

 

やってはいけない悪いことはたくさんありますが、ただ『悪い』とだけ考えてしまうと、実はたいしたことではないのに強い罪悪感を感じてしまうこともあります。

例えば人殺しを100点とすれば、歩道での信号無視は3点くらいかもしれません。

点数をつけるときのコツは、他の罪と比べることです。

 

『実はたいしたことではないのに強い罪悪感を感じてしまうこともあります』。

そうですね。

そういう傾向が私にはあるようです。

あれもこれも同様に自分の非を感じてしまい、何にでも同じような大きさの罪悪感を感じることがあります。

 

白か黒か、0か100かという発想ではなくて、その大きさの程度を冷静に考えたいと思いました。

気に病むことが少なくなりそうです。

 

補償することで罪悪感を手放す

 

 

罪悪感を消す最もスタンダードな方法が『補償』です。
補償=損害・費用などを補いつぐなうことです。

「やったことは取り返しがつかない」と思うかもしれませんが、あくまで「同じくらいのもの、同じくらいのこと」で補償するのがポイントです。

他人のものを壊してしまって損害賠償する場合、同じものを返すことはできないので、だいたいは『損害と同等』のお金で補償しますよね。

心の問題の場合、お金で解決しようとするのは基本ダメですが、同じくらいの価値を相手に与えることで補償しましょう。

 

そうか、補償するという手があったのですね。

 

一度犯した罪は取り消せないと思い込んでいましたが、補償することで幾分かは罪の意識が減りそうです。

 

直接の相手に補償が不可能であっても、他の人に優しくするように心がけます!

 

「〇〇しない」ではなく、「○○する」

 

 

行動を変えるコツは、反対の行動を意識する、ということです。

例えば「嘘をついて人を傷つけてしまった」場合、「嘘をつかない」と決めただけでは意識するのが難しく、行動を変えずらいです。

「嘘をつく」の反対は「正直に話す」です。

「嘘をつかない」ではなく「正直に話す」と心がければ、いつも行動に結びつけられますよね。

会話の度に「正直に話す」ことを意識すれば、その度に心の傷は塞がっていき、痛みは消えていきますよ。

 

これ、いい工夫ですね。

早速、自分の行動に取り込みたいです。

 

「嘘をつく」の反対は「嘘をつかない」ではなく、「正直に行動する」。

プラスに考えることで行動が出来て、気持ちが楽になりそうです。

 

誰かに話を聞いてもらって、自分を許す

 

 

キリスト教、特にカトリックでは、教会の仕事として『懺悔』を聞くということがあります。

自分で自分を許せない時、代わりに神に許しを乞うのです。

特に重い罪悪感を感じているとどうしても自分が許せないということもあります。

かといって、友人に話すことも難しいですよね。

そんな時は、お寺の住職などに相談すると話を聞いてくれることもあります。また占いをしてもらった時などについでに懺悔してしまうのも手です。最近では、電話で「話を聞く」サービスもあります。どうしても辛い時にはこれらの方法を試してみてください。

 

これって、「自分も人も共通」(Common Humanity)と似ていますね。

「自分も人も共通」(Common Humanity)については、こちらをクリック

罪悪感で凹んでいるときは、「この世の中で自分だけが悪いのだ」と思い込むところがあります。

自分だけでない!!!

皆がだれしもが罪悪感で悩むものだと想像するだけで、罪悪感に冷静に向かえそうです。

 

相手は貴方のことを意外と気にしていない

 

 

 

私達は、自分がやってしまったことで、相手がどのような傷を受けたのかよく知らないまま、自分だけで一方的に罪悪感を感じつづけてしまうことがあります。

可能であれば、相手の気持ちを確認してみましょう。普通に話しができる相手であれば、「あの時○○と言ってしまってごめん」などと謝罪する形で聞けば悪い方向には進みません。

以外と相手は気にしていなかったりして、スッキリすることもありますよ。

 

そうかもしれない!

自分が相手を傷つけたと決めつけて、自分が勝手に罪悪感を抱いているだけのことって、ありえますね。

 

「しまったという感情→自分が悪いという評価・判断→罪悪感」という流れで罪悪感が膨らみます。

しかし、「自分が悪いという評価・判断」は、思い込みによる余計な判断かもしれません。

このことは、「ありのままの自分を観る」(Mindfulness)に通じる発想だと思いました。

「ありのままの自分を観る」(Mindfulness)については、こちらをクリック

 

他人からの相談だと思って考えてみる

 

 

 

私達は自分の中で何度も繰り返し考えるうちに、いつの間にか問題を大きく考えすぎる傾向があります。

客観的に判断する方法として、もし自分が友人から同じ悩みを相談されたらどう思うか?考えてみるといいですよ。

「あなたは全然悪くないじゃん!」「気にしすぎ!」と思うかも知れないし、「悩んで当たり前」だと思うかも知れません。

もし「気にしすぎ」「あなたは悪くない」と答えるのであれば、実際にあなたが気にする必要はありませんし、あなたは悪くありません。

 

なるほど、なるほど。

自分自身を責め続けると、頭がマイナスの感情で占められてしまいます。

そんな時ほど、友人から同じ悩みを相談されたと仮定して、自分だったら友達にどのようにアドバイスできるかと想像してみるゆとりが大切ですね。

 

 

自分を責めるだけではなく、自分を慰めることも必要です。

それでこそ、心のバランスが保たれますね。

このことは、まさに「自分への思いやり」(Self=Compassion)です。

「自分への思いやり」(Self=Compassion)については、こちらをクリック

 

自分だけのせいではない、客観的に責任分担する

 

 

罪悪感が完全に消えるわけではありませんが、責任の全てを自分が背負うことは避けないといけません。

「自分も悪かった」と思うかもしれませんが、交通事故でも8:2、6:4など責任の分担があります。冷静に考えた場合、自分が100%悪いことはまずありません。

「3割は自分が悪かった」と思うだけでも、心のしこりが小さくなります。罪悪感を軽くすることができます。それは責任転嫁ではなく正当な権利です。

 

『それは責任転嫁ではなく正統な権利です』。

私にとっては、目が覚めるような言葉です。

 

 

罪悪感を持つときは、「全ての責任は私にある」と考えがちです。

しかし、冷静に考えてみれば、起こった出来事の責任は、何も自分だけにあるはずはありません。

罪悪感の池に自らを落とす前に、冷静に考えたいです。

 

救いと償い

 

 

 

私達は助け合って生きているのと同時に、傷つけあって生きています。

「人に迷惑をかけてはいけない」
と多くの人は考えていますが、親密な関係であるほど、迷惑をかけまくっていますよね?でもその分許し合って助け合っていればそれで良いのです。

嫌われないように、迷惑をかけないように、とだけ考えて生きていたら誰とも仲良くなれず、とても殺伐とした社会になってしまいます。

たとえ誰かを傷つけてもその分他の人を救ってあげればいいのです。

 

心に染み入る言葉です。

 

傷つけあって生かされている。

人を助け、助けられて生かされている。

これが人の世ですね。

 

傷つけることを怖れていたら、部屋に引きこもるしかありません。

 

『たとえ誰かを傷つけてもその分他の人を救ってあげればいいのです』

なんて優しい言葉でしょう!!!

 

例えば相手が故人のような場合、その本人に対して罪を償うことができないこともあります。

その場合、相手の家族に対して何らかの償いをすることも立派な償いです。

相手が大切にしているものであれば、本人でなくてもいいのです。

また今すぐに何かを行うことが難しい状況もあります。その場合でも、いつか○○という形で償うと決めておけば良いのです。

罪悪感はあくまで自分の心の問題です。強く誓うことは、実際の行為と同じ意味があります。

 

自分と他人、人間と自然、地球と宇宙。

それぞれがバラバラに存在するのではなく、どこかでつながりあって存在している。

そんな光景を想像しました。

 

 

 

罪悪感という自分の頭にある悩みだけに執着せず、心を開けて世界と関わりたいものです。

 

「罪悪感を手放す」という選択をする

 

 

私達が感じる罪悪感のほとんどは人間関係の問題だと思います。ですが大切なことは、罪悪感を感じているのはあくまで自分だということです。

自分自身が「罪悪感を持つ」という選択をしているのです。

だから自分自身が「罪悪感を手放す」と選択すれば、手放すことができます。

 

自然に罪悪感を抱くのではなく、自分の考え方の癖が罪悪感を大きくしているのかな、と思いました。

「罪悪感を手放す」という覚悟を決めたいです。

 

もちろん言うのは簡単でも行うのは簡単なことではありません。

それでも償えない罪はなく、手放せない罪悪感はありません。

やるべきことをやる度に、心は少しずつ軽くなっていくはずです。

 

全部の言葉を太文字にしたいくらい、ありがたい言葉です。

 

 

自分が勝手に作った罪悪感に浸りこんで、現実的には何も行動できていない自分に気付かされした。

 

やるべきことをコツコツ積み重ねる行動によって、心を軽くしていきたいです。

 

罪悪感を持つのは、自分が傲慢なのかも?

 

最後に。

 

 

『罪悪感を手放す方法』を拝読し、引用に沿って感想を書いているうちに、思い浮かんだことを書きます。

 

「罪悪感を持つ人は謙虚な人だ」と思ってきましたが、ある意味では傲慢な考えをなさっているかもしれません。

 

人は助け合って生きています。

人の助けなしでは生きていけません。

 

人は迷惑をかけあいながら生きています。

誰にも迷惑をかけずに生きてはいけません。

 

自分の力だけでは生きていけない存在が人間です。

 

良い点もあれば、悪い点も持ちながら生きるのが人間です。

 

そこを、「自分は何に対しても正しくあろう、清くあろう、良い人であろう」と過度に思い続けると罪悪感が大きく膨らみます。

 

全てのことに正しく、清く、良いである人。

こんな人、どこを探してもいません。

みんな、どこか悪い点があり、どこか濁っているのが人間です。

そんなところを抱えながら生きているのが人間です。

 

自分の醜いところも、かけがえのない自分の大切な一部分です。

みにくい自分を無理やり自分から追い出す必要はありません。

 

常にきれいな自分であろうとするのが傲慢です。

自分に謙虚でありたいです。

自分を尊大に大きくする必要もなければ、卑下して小さく見せる必要もありません。

誰に対しても、自分自身に対しても、等身大の自分でありたいです。

 

 

 

なお、引用の元サイトにご関心を持たれた方は、こちらをクリック

(トップページ『ココロマニュアル』のURLは、http://kokoromanual.com/)

 

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