60.「汝の敵を愛せよ」の「敵」とは? :セルフカインドネス・コモンヒューマニティー

60.「汝の敵を愛せよ」の「敵」とは? :セルフカインドネス・コモンヒューマニティー

こんにちは。

日中はまだまだ半そで姿が多い季節ですが、いかがお過ごしでしょうか?

 

※なにげない謎と不思議、朝礼スピーチのネタは、
「昭和オジサンが謎を基に、朝礼スピーチのネタをアドバイス」

 

 

今回は知人から届いた手紙の中でみつけた文章を元に書きます。

 

『汝の敵を愛せよ』です。

 

(画像引用:信教出版社)

 

 

【目次】

1.『汝の敵を愛せよ』の意味について

2.知人のからの手紙。『汝の敵を愛せよ』と『貧しい人は幸いである』

3.敵とは?

4.コモンヒューマニティーとセルフカインドネス

5.セルフコンパッションに関する今までの投稿一覧

 

 

 

1.『汝の敵を愛せよ』の意味について

 

『汝の敵を愛せよ』はキリスト教の聖書に出てくるイエスの言葉です。

この意味についてネット検索してみました。

 

Google検索順位3位と6位に表示されたサイトをコピーします。

 

 

その1

Goo辞書には、次の意味が書かれていました。

Love your enemies.
悪意を抱いて迫害する者に対して、慈愛をもって接せよ。
新約聖書「マタイによる福音書」第5章、「ルカによる福音書」第6章にある言葉。

その2

NHK“シブ5時”の中のコーナー「悩み相談 渋護寺」にご出演の釈徹宗氏(浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表)

 

以下のQAにおいて、釈氏は「愛」について、内田氏は「敵」について書いていらっしゃいます。

(釈氏の文章には改行を入れました。また、太字は私です。)

 

(画像引用:https://twitter.com/nhk_shibu5/)

 

 

Q:

聖書の「汝の敵を愛せよ」は、仏教的にはどう考えればいいのでしょうか?
聖書的にもよくわかってないのですが。
(Y原)

A:
「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ福音書)

キリスト教では「汝の敵を愛せよ」を軸とした隣人愛は、黄金律(ゴールデン・ルール)と呼ばれています。
まさにこれに勝る愛の概念はないであろうと思われる「究極の愛」です。
今後、どれほど人類の歴史が続こうとも、これ以上の愛はないでしょう。
この一点だけでも、キリスト教が人類にもたらしたものははかりしれません。
さて、ここで語られている「愛」はアガペーの邦訳なのですが、よい訳とは思えません。
「愛」はもともとあまりいい意味の用語ではなく、執着心を表します。
もしアガペーに適合する日本語を探すなら、それは「慈悲」です。
そして「慈悲」はもちろん仏教の中心概念です。
「慈悲」は「慈」と「悲」、二つの意味が合わさってできた理念です。
「慈」はサンスクリット語のマイトリーを訳したもので、真の友と接するようにすべての生きとし生けるものを慈しむこと。
「悲」はカルナーで、悲しみ苦しみうめく様です。ともに泣き、ともに苦しむ心を表しています。
また、仏教には「一子地(いっしじ)」という言葉があります。

「あたかも母が、おのれが独り子を、命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものたちに対して、限りなき慈しみのこころを起すべし」(『スッタニパータ』)
「平等心をうるときを一子地となづけたり
一子地は仏性なり安養にいたりてさとるべし 」(親鸞)

唯一のわが子に対するがごとく、慈悲の心を起こすということです。
こうして考えてみますと、キリスト教の隣人愛にしても、仏教の慈悲にしても、ほとんど実践不可能なものすごい覚悟が必要なことがおわかりでしょう。「そんなもん、実際にはできまっかいな」という気になりませんか?
確かに実行は困難ではあります。
が、少なくともそちらへ向かって歩もう、という方向性をもつことは可能です。
まるで水平線に向かって石を投げるがごとく、むなしく力及ばない行為ではあっても、その方向を向く。
とにかく、まずは、身近な人に対して慈悲の心で接しよう。
それが仏教の説くところです。

内田からもひとこと。
「汝の敵を愛せよ」の「愛」の意味について釈先生はお書きになっていましたので、私は「敵」の意味について書いてみたいと思います。
「敵」って何のことだと思います?
戦争とかサッカーの試合とか派閥抗争とかだと「敵味方」ははっきりしてますから、そういうものをベースにして敵という概念を考えがちですけれど、「敵」ってそういうものには限られないんじゃないですか?
例えば、一流のアスリートは専属のトレーナーとか栄養士とか通訳とか弁護士とかPRマンとかしたがえた「チーム」で行動しますね。
これは筋肉痛がしたり、栄養が偏っていたり、ことばが通じなかったり、契約関係でもめたり、メディアでスキャンダルが暴露されたりした場合に、実際にアリーナで「敵」とまみえるより前に、発揮できるパフォーマンスがあらかじめいちじるしく損なわれるということを意味しています。
ですから、こういう「チーム」を引き連れて、パフォーマンス発揮を阻害する要因をあらかじめ排除してアリーナに臨むアスリートと比べた場合、誰のサポートもなく、自分ひとりで全部処理しなければならないアスリートは、競技が始まるより前にすでに大きなディスアドバンテージを負っていることになります。
もし、「敵」というのを「パフォーマンスの最大化を阻止するファクター」というふうに機能主義的に定義すると、「敵」というカテゴリーには、「加齢」とか「ウイルス」とか「契約のもつれ」とか「家庭不和」とか「スキャンダル」とかいろいろなものがカウントされることがわかるはずです。
つまり、私たちが「敵味方」スキームでとらえて「敵」だと思っているものは、私たちのパフォーマンスの最大化を阻止する無数の要因のうちで、「私たちにいちばん近しい存在」のことなのです。
だって、そうでしょ?
同じルールに従って行動する、同じタイプの、同じ価値観の人間じゃないと、同じアリーナには立てませんからね。
私たちが因習的に「敵」と呼んでいるのは、私たちの行動と可能性を制約するもろもろのファクターのうちで、いちばん「与しやすい」ものなのです。
なにしろ言葉が通じるんですから。
あなたが敵だと思っているもの、それはあなたを不幸にしかねないさまざまな素因のうちで、おそらくもっとも無害なものである。
私は「汝の敵を愛せよ」ということばをそんなふうに解釈することもできるのではないかと思っています。
武道では「天下無敵」といいますが、これは「天下のすべての敵を殲滅したので、敵がいない」という意味ではありません。
「敵を作らない」ということです。
それはべつに「敵」にへいこらするとか、そういう意味ではありません。
「目の前にこういう阻害要因が出てきた」という事実を含めて「私」のアイデンティティを引き受けると、それはもう「敵」ではなくて、「私の一部」であるという自我イメージの切り替えのことを言います。
「私の一部」というか「私の欠点」というようなものですね。
そして、人間は「自分の欠点を愛する」ということについてはたいへん勤勉なものなのです。

 

文章後半部の「内田からもひとこと」の「内田」は「内田樹氏」だと推測します。

 

 

2.知人からの手紙。『汝の敵を愛せよ』と『貧しい人は幸いである』

 

 

 

知人の手紙から届きました文章を一部変更して記します。太字は私です。

 

私はクリスチャンではないのに、聖書に収録されている文言が脳裏から離れません。

「汝の敵を愛せよ」
「貧しい人は幸いである」

私には、この二つの文句が結ばれているように見えます。
まず、「汝の敵」とは、愚行を犯してしまう自己を指し、貧しい人の「貧しい」も、実は、欠如だらけの自分自身を婉曲して表現しているのではないでしょうか。
それらを踏まえますと、イエスはこう述べたのではないかと解釈しました。
「万物は生まれいずる時点で欠けたる存在であり、欠けたる自己を自ら肯定する者は、欠けたる他者をも認める。
お互いに赦し合うことで我々は生きていける」と。

 

以下は、私の感想です。

 

まずは、「貧しい人は幸いである」の「貧しい」の解釈から。

「貧しい」のとらえ方につきましては、私は知人とは違うように感じました。
「貧しい」とは「多くのあるいはある特定の事柄が自分に欠如している」のはではなく、欠如しているのは「自分を支えるものが何もない」という1点だけだと私は思うからです。

 

一方、「汝の敵を愛せよ」の「汝の敵」の解釈。

汝の敵とは、愚行を犯してしまう自己を指す」という知人の解釈には驚かされました。

イエスは「愚行を犯す自己を愛せよ」と語っていることになるからです。

柔らかく換言するならば、「愚行を犯す自己を否定せずに肯定してもいいんだよ」と語ってくださっているとも解釈できます。

 

今まで考えてもみなかったことでしたので、このブログを書く動機になりました。

 

(実際には、ある文脈の中で語られた聖句ですので、その解釈には十分に気を付けなければいけないですが)

 

 

3.敵とは?

 

 

「敵」とは何か?

内田氏と知人は両者とも、「自分の外部に敵があるのではない」と受け止めているように思います。

 

しかし、違いもあります。

・内田氏は、外部の阻害要因を自分の中に引き取り、旧来の自分と統合することで新たな自我イメージを作っています。

・知人は、敵そのものが元々愚行を犯す自分自身だと考えています。

 

似ている点は、

内田氏が仰るところの「阻害要因」であろうが、知人が書く「愚行を犯してしまう自己」であろうが、敵は内部ではなく外部に存在します。

「汝の敵」イコール「汝自身」(すなわち自分自身)です。

「汝の敵を愛しなさい」は、「自分自身を愛しなさい」ということになりますね。

 

「自分自身を愛しなさい」。

これは、簡単なことでしょうか?

それとも困難なことでしょうか?

自分が失敗したとき、醜い自分に気づいたとき、自分が弱い時、人に迷惑をかけ嫌われた自分、

こんな自分を愛することは、私には困難なことです。

 

 

4.コモンヒューマニティーとセルフカインドネス

 

ダメで醜く貧しい自分を愛することは困難です。

 

もう一度、知人から届いた手紙を読みたいと思います。

「欠けたる自己を自ら肯定する者は、欠けたる他者をも認める。
お互いに赦し合うことで我々は生きていける」

 

・前半の「欠けたる自己を自ら肯定する」。

これは、セルフカインドネスの発揮のしどころだと思います。

 

・後半の「欠けたる他者をも認める。お互いに赦し合うことで我々は生きていける」。

これは、コモンヒューマニティーの考え方ですね。

 

自分を大切にするのは、他者ではなく自分自身です。

「お前はダメだ」と百万人から言われたとしても、

「私は私なんだ」と一人静かに自分自身を認める局面。

このような絶対に譲れない局面は、誰もが人生の中で数回は訪れることでしょう。

 

自分は弱いですので、周囲の圧倒的な力に負けて自分に嘘をついて人の言いなりになるは多々あります。

しかし、せめて心の中だけでも、自分の本心を見失いたくはないです。

 

 

今までブログで語ってきたセルコンパッションと聖句との共通性を感じ、不思議な感じがしました。

 

 

 

5.セルフコンパッションに関する今までの投稿一覧

 

最新ブログ → http://tsunami2013.org/

 

1.怒りとの良い付き合い方:マインドフルネス

2.私が今ここにいる意味と『病者の祈り』:マインドフルネス

3.今を生きる:コモンヒューマニティー・マインドフルネス

4.「棚上げ」という魔法:マインドフルネス

5.母を亡くしました:コモンヒューマニティー・マインドフルネス

6.認知症だった母への罪悪感:セルフカインドネス

7.罪悪感を手放す具体的な方法:セルフカインドネス

8.罪悪感と怒りとは同じものかもしれません:セルフカインドネス

9.悲しみは誰でも持っている。『でんでん虫の悲しみ』(新美南吉):コモンヒューマニティー

10.対話は、理解よりも共感が大切! -書籍と映画を通じて-:マインドフルネス

11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える:セルフカインドネス

12.自分の思い込みを知って、楽に生きよう!:マインドフルネス

13.映画「ありがとう、トニ・エルドマン」にみる父と娘:マインドフルネス

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30:レーズン一粒を味わった:マインドフルネス

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