2.私が今ここにいる意味と『病者の祈り』

こんにちは。

ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしたでしょうか?

旅行に出られた方、映画鑑賞をなさった方、古里に帰省された方、お家でのんびりとテレビを見続けた方。
色々な過ごし方をなさったことでしょう。

 

「今この場所にいることの意味」について書きます。

 

今、私はここにいます。

今、私はこの今を生きています。

何故、自分がここにいるのか。
別の場所で生活している可能性はなかったのか。

今とは別の仕事を持ち、今とは違う家族と過ごし、他の地域で住んでいる自分。
そんな自分がいたのではないかと思い描くことがあります。

今回は、今自分がここにいることの意味について考えてみました。

 

憧れの仕事と、実際の仕事について。

 

若いころ、都会で活躍するかつての仲間たちがうらやましくてなりませんでした。

知り合いはマスコミ業界に就職した人が多かったです。
彼らがニュース番組でレポートする姿をブラウン管から眺めてはため息をつき、新聞社や雑誌社で働く姿を思い描いては憧れていました。
(ブラウン管って、ご存知ですか。テレビの液晶のことです)

 

 

当時、私は一般的に地味だと言われる仕事をしておりました。
朝から晩まで、机に座り誰とも話さずコツコツとそろばんを弾いていました。

これが退屈で退屈で。
退屈と言っても、息をつく暇がないほど一生懸命働いているのですよ。
事務が嫌いということではなく、やり方が決めっていて誰がやっても同じ結果しかでない仕事、自分の創意工夫を出す余地がない仕事にやりがいを感じることが出来なかったです。

そんな毎日を送っていましたので、イキイキとして華やかそうな職場で働く連中が眩しかったのです。

正直言うと、連中が眩しいというよりも、自分自身が情けなかったです。
自分の夢を放棄してしまったような思いにとらわれていました。

どこかに自分を活かせる仕事があるはずだ。
でも、具体的に自分を活かす仕事は何なのかは全く分かりませんでした。
分からないまま、「ここに自分がいてもいいのだろうか?」とふわふわした思いでいました。

そのうちに、オフコン化が職場全体で始まりました。
今はパソコンが中心ですが、当時はパソコンの機能と容量が低かったのです。
システムエンジニア(SE)の方と業務内容の打ち合わせをする日々が続きました。

これは私にとっては楽しい仕事でした。
初めてイキイキとしました。

 

 

この職場では、幾つかの部署を渡り歩きました。
やりがいを感じることもありました。

とはいっても、困難なことがあるたびに、「こんな道を選んだから、こんなに嫌なことに出会って苦しむんだ」と思っていました。

過去の選択を後悔し、現在を否定することで、今の困難から目をそむけていたと思います。

そして、そのうちに退職をして、その後いくつかの職場を体験しました。

やりがいを持てた時もあれば、ただただ辛い時もありました。

 

今までの仕事を振り返って、自分の選択が自分にとって良かったのかどうかは分かりません。

心のどこかに、別の道を選んでいたら、今とは違い、もっとイキイキとした人生を送れていたのではないかという気持ちがあることは否定できません。

 

 

今は、これまでの仕事とは全く違う畑違いの仕事に就いています。
知識も体験もないので、0からのスタートでした。

 

今のこの職場になぜ自分がいるのかを考えてみました。

考えた結果、

奇妙に思われるかもしれませんが、
若いころに選んだ仕事が何であっても、その後転職した仕事が何であっても、結局は今やっているこの職場にたどり着いたのではないかと感じました。
大仰ですが、
今までの体験がこの職場に私を向かわせたのではないかと思います。

 

今ここにいるとは?

 

今いる職場、今いる家庭、今いる場所、今いる環境はいかがでしょうか?

今の状況に対して、満足していない方、辛い思いの渦中にいる方もいらっしゃることでしょう。

困難な状況を打破すべく、現実的な作戦(?)を真剣に考えている方もいらっしゃることと思います。

 

私は、「今、自分がここにいることには何か意味がある」と感じています。

だからといって、「この場所にずっといなければいけない」とは考えていません。
可能ならば、環境を替えてみることもありです。

でも、今がどんな環境であっても、
「どこか別のところが本来の自分がいる場所だ」という思いにとらわれて「今、ここ」を疎かにすることは止めたいと思います。

今の環境にいても、環境を替えても、「今、ここ」という意識を大切にしたいです。

 

『病者の祈り』
(ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一人の患者の詩)

 

 

自分が抱える困難があまりにも重く、自分が無力だと感じることが時々あります。

そんな時に、「よし、弱い自分でもいいかな」という気にさせてくれる詩があります。

ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一人の患者の詩です。

詩の中の「神」という言葉に違和感をお感じになる方は、「人に」や「社会に」や「家族に」と読み替えてもよろしいかと思います。

 

『病者の祈り』

大事を成そうとして力を与えてほしいと神に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるようにと健康を求めたのに、
より良きことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬものであるにもかかわらず、
心の中を言い表せない祈りはすべてかなえられた。

私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。

 

英語の原文

 

【 The Answer to All My Prayers 】
━ A Creed for Those Who Have Suffered ━

 

I asked God for strength, that I might achieve,

I was made weak, that I might learn humbly to obey.

 

I asked for health, that I might do greater things,

I was given infirmity, that I might do better things.

 

I asked for riches, that I might be happy,

I was given poverty, that I might be wise.

 

I asked for power, that I might have the praise of men,

I was given weakness, that I might feel the need of God.

 

I asked for all things, that I might enjoy life,

I was given life, that I might enjoy all things.

 

I got nothing that I asked for —-

but everything I had hoped for.

 

Almost despite myself,
my unspoken prayers were answered.

 

I am among all men, most richly blessed!

 

この詩は、「今のあなたでいいから、自分を大切にしてくだだい」というセルフコンパッションの考え方に通じるものがあると思います。

 

ニューヨーク・リハビリテーション研究所
待合室の壁に飾られた銘板より
(引用 https://blog.goo.ne.jp/true-vine/e/f70d7be32b35224d55bfcce80dcd1b76)

 

 

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1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

2.私が今ここにいる意味と『病者の祈り』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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