11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

こんにちは。

9月に入り少し過ごしやすくなりましたね。

しかし台風の季節でもあります。

気象警報にお気をつけくださいませ。

(9月5日追記:昨日の暴風雨、大丈夫でしたでしょうか。
こちらは観測以来2番目の強風でした)

(9月6日追記:今日未明の北海道地震、停電が速やかに復旧されますように)

(9月10日追記:「北海道のほぼ全域に及んだ停電は、8日夜までに99・9%にあたる約294万9千戸で復旧した。ただ電気の供給はなお綱渡りで、政府は2割のs節電を呼びかけた。検討中の計画停電は10日までは見送る。11日以降に踏み切る場合、2日前までに知らせる。」 引用:2018年9月8日22時43分朝日新聞DIGITAL)

(10月3日追記:北海道観光への補助が始まりました。→「日経新聞9月28日」記事

 

 

今回は「自己責任論とセルフコンパッション」について考えてみます。

 

人の失敗や弱さを責める言葉。

 

こんな言い方を聞いたりネットで見かけることが多くありませんか?

(注意:言い方を強調して書きました。気持ちが沈んでいらっしゃる方は、この章をご覧にならず次の章まで飛ばしてくださいね)

 

 

・「あの人、変りもの。だから浮いても仕方ないよ」

・「働かざる者、食うべからず」

・「置き引きにあったのは、荷物から目を離した貴方が悪い。忙しい警察を煩わすのは気の毒だよ」

・「ウツになる人は考え方が悲観的だったり、仕事のやり方が下手なだけ。上司や職場の環境のせいにするのはお門違いだ」

・「政府の警告を無視して紛争地帯に入って拘束された人を、税金で助ける必要はない」

・「チャンスはあったはずなのに、それを見逃しておいて、今さら文句を言う方がおかしい」

・「仕事を選ぶから正社員になれないだけ。贅沢言わずに、なんでもやるという気持ちさえあれば正社員になれる」

・「ブラックな企業を選んだのは本人の責任よ」

・「努力不足なのに、公的支援で生活するのはいかがなものか」

・「自力で生活できない人って自分自身に原因があるのだから、国は支援を与える必要はない」

・「人に頼るな」

・「自分の身は誰も守ってくれないよ。自分で守らなきゃ」

・「みんなに合わせないから、あんな目にあうんだよ。自業自得だわ」

・「そんな立派な主張をする前に、貴方がどれだけ周囲に迷惑をかけているか考えてごらん」

・「事業を興こしたのは自分の意思だ。その商売が上手くいかなかったのは、その人の責任よ。周囲が支援する必要はない」

・「決まった期間に手続きをしなかったのは貴方の事情でしょ。今さら言われても仕方ないじゃない」

・「生活保護を受ける人は頑張りが足りないだけよ。私なんか嫌なアルバイトに耐えて頑張っているのに」

・「高利の投資によって被害をこうむったからといって、経営者だけを責めていいものだろうか。むしろ、怪しげな話に飛びつく人が悪いんだ」

 

これらの言葉の後には「自己責任だからね」という言葉が加わることが多いものです。

私はこんな言葉を言われると、胸がキュッとしめつけられるような、ナイフをグサッと突きつけられたような気持ちになります。

直接言われなくとも、周囲の会話を聞いたり文章を読んだだけでも、心が痛みます。

 

皆さんはいかがですか?

なかには、このようなことを言われたらどうしようかと怯えていらっしゃる方、あるいは言われないように人を避けている方もいらっしゃることと拝察します。

 

「自己責任」の意味を調べました。

 

そもそも、「自己責任」という言葉はどんな意味なのでしょうか?

 

 

まずは、ネット辞書を検索してみました。

・「デジタル大辞泉」と「goo辞書」では、
 、自分の行動の責任は自分にあること。「投資は自己責任で行うのが原則だ」
 、自己の過失についてのみ責任を負うこと。

・「weblio辞書」では、
自分の行動の結果として危機に陥ったのなら、自分で責任を負うべきであり、他人に助けを求めるべきではない、といった論理を基調とする考え方。
危険であることが事前に予測できたにもかかわらず、危険を顧みずにに敢行したのだから自業自得だとする考え方。

一方、紙媒体の辞書には「責任」という言葉はありますが、「自己責任」という言葉は見つかりません。

ということは、「自己責任」という言葉は用法が確定/定着していなく、ある意図で用いられる言葉ではないかと推測されます。

(先の画像は私が使っている「明鏡国語辞典 携帯版 初版第八刷」です。
もしろん「自己責任」は載っていなく、「自己」の用法に「自己の責任・自己満足」とありました)

では、この「自己責任」という言葉を使う人々は、どのような意図があるのでしょうか?

 

【一休み】

邦画「舟を編む」は、辞書作りがテーマです。
松田龍平さん、宮崎あおいさんをはじめ、キャストがピッタリの映画でした。
原作は三浦しおんさんの同名小説です。

 

「自己責任」のイメージです。

 

 

まずは、私が「自己責任」という言葉から感じること、および「自己責任」を使いたがる人々への印象を羅列します。

 

 

1.
人を突き放すような冷たい言葉。

2.
自分がまずいことに関りたくないので、当事者だけに責任を押し付ける言葉。

3.
自分が努力していることや得意なことを、不得意な人にも強制しようとする言葉。
そして、それが出来ていない人を責めるときの言葉。

4.
「困ったときはお互い様」という度量が自分にないことの言い訳に使う言葉。

5.
周囲の人々が問題に向き合い改善策を考えればよいのに、それを考えるのが面倒だから、個人の責任に閉じ込めて見て見ぬふりをする。

6.
『出る杭は打たれる』という諺と似ている雰囲気が漂っている。
各人の特徴を拒んで、みんな一緒であることを強要しようとしている。

7.
会社と行政が責任逃れ、またはサボタージュをしたいがために、個人を悪者にしておく。

8.
政府批判がおきないように、個人をスケープゴートにしたてあげ、国民の世論をかわそうとしている気がする。

9.
『他人に迷惑をかけないように』という言葉を振りかざし、弱さゆえ失敗ゆえに「迷惑をかけざるを得ない状況になった人」を非難する。

10.
自分を安全地帯に置いたまま社会の現状から目を背けて、あたかも自分が善人であるかのごとく発言する。

11.
「自己責任」という言葉を安易に使用する人は、社会問題を深く検証しようとせず、また十人十色である人間の気持ちと背景に想像を至らせない。

12.
「規制緩和」・「新自由主義」・「郵政民営化」が論じられていた1990年代後半から、それら言葉とセットで多用されるようになった言葉。

13.
やむにやまれぬ事情を考慮することなく、「ルールですから」の一言で一刀両断し、事情の背景を考察しようとしない。

14.
試合が終わったのに、いつまでも人を批評する審判。

 

なんだか、私のうっ憤を晴らしているみたいですね。

私も1~14のうち幾つかは、時として当てはまることがあります。

だからこそ、イメージが浮かぶのでしょうね。

 

(ご留意願います)

「責任」ということを決して軽視してわけではありません。

「責任を取る」・「責任感を感じる」・「責任を負う」とは、
「自分がリスクをわきまえたうえで行動したならば、仮にマイナスの結果となったとしても、他人や環境のせいにせずにまずは結果に対して自分で責任を負う」
ということです。

「責任」を尊重する考えと態度は、社会の中でお互いが生活するうえで前提となる基本です。

もしも「責任」を放棄し他人や社会が悪いというならば、人間関係と社会生活はたちどころに崩れ去ることでしょう。

ここで私が問題としているのは、「責任」という言葉に「自己」という言葉を加えて「自己責任」と言うことです。
その結果、「自己責任」という言霊を利用し個人を責めることによって、本来の責任主体に霞をかけているのではないかということです。

 

「自己責任論」の正体とは?

 

(画像引用:「美味しんぼ」

 

「村八分」になりたくないために「世間体」を気にし、是非を考えずに周囲に同調してきた人々がいます。

その人々は自らの中に鬱積した妬み(ねたみ)を抱えています。

その妬みを正当性を装って発散する方法として「自己責任」という言葉を振りかざすこと、それが「自己責任論」の正体だと考えます。

「自分は周囲の方と足並みをそろえることに気を配り真面目に頑張っているんだ。
それなのに努力する割には報われていないではないか。
将来が不安で、今さえもどこか心もとない。」

こんな矢切り切れなさと不満を心の奥底に持っている人々が、誰かを責めることで留飲を下げているのでしょう。

ある意味ではもっともな心理なのかもしれません。

 

「自己責任論」を利用する側とは?

 

 

今は、こんな時代です。

・高度経済成長とバブルが終わりリーマンショックを経て、低金利とデフレの経済状況です。

・グローバル化・IT化(AI化)という得体のしれない言葉が日常用語のように飛び交っています。

・戦後長く理念としてきた「民主主義」「自由・平等・友愛」「国際主義」の意味が、是非を話し合って検証する作業を充分しないないまま、なし崩し的に変容しつつあります。

・個人の財布については、所得の相対的格差は広がる一方です。

・メディアには、パワハラ・セクハラ・モラハラに関する記事が毎日のように載っています。

・目を海外に向けますと、中東情勢・東アジア情勢の更なる混迷の中、EUとアメリカ合衆国の民族主義的孤立主義が台頭しています。

 

自分が何を信じて、何を指針として生きていけばよいのか自信が持ちにくい時代です。

心のどこかで違和感を感じながらも「自己責任論」はもっともだと感じ人を責めてみたり、逆に自分自身の身を責めてみたり、、、、、。

実に不安な時代ですね。

 

こんな時、私はこんなことを考えるようにしています。

「流行り言葉の裏には必ず、その風潮を利用して得をする人々がいるのではないか?」です。

前々章の「「自己責任」のイメージです。」で述べました通り、私たちが生活をする日常にも「自己責任論」をよりどころにして言動を正当化する場面は多くみかけます。

ただ、それは個人の言動にすぎません。

私がここで考えますのは、個人ではなく、組織が持っている権力を利用して「自己責任論」を会社や個人に押し付ける勢力のことです。

会社に対しては許認可や行政指導権限を持つ官僚制度(行政)を利用し、個人に対してはマスコミの世論形成を利用する勢力です。

あるいは、「村八分」に代表される同調圧力が厳しかった監視社会の精神性を利用する勢力です。
協力や助け合い文化は大切なのですが、その美名のもとに除外された人々がいかにおおかったかに心に留めておきたいです。

 

しかし、ここは「セルフコンパッション」について語るサイトですで、ここで話を打ち切ることとしますね。

 

「自己責任論」を振りかざされて、貴方が凹んだ時は「セルフコンパッション」を思い出して。

 

人から、特に仲が良いと思っていた知人から「それは自己責任よ」とズバッと言われた時は凹みますね。

自分が置かれた立場と悩みを理解してほしい時に、「人に期待せずに貴方がもっと頑張れば良いのよ」と責められると、数日間は立ち直れない気持ちになります。

 

 

そんな時は、「セルフコンパッション」を思い出してください。

 

・まずは、固定ページの「その1.「自分自身に優しくする」Self-Kindness」

「貴方を責める人がいたら、『そういう人もいるんだな』くらいに受け止めるだけにでいいよ」
→「あなたは、難しい環境の中でよくやっているよ」
→「だから、貴方は今のままで充分だ」。

「人が勝手に決めつける『自己責任論』におびえる必要はありません」
→「『自分は自分のものなのです』。自分を評価するのは、『人』ではなく『自分自身』のですから」。

 

・次は、固定ページの「その2.「自分も人も共通」Common Humanity」

「自己責任論を声高に唱える人は、もしかすると、自分が何かで責められていてストレスを抱え、他人を責めることで発散させているだけかもしれない」
→「責める側も結局は責められる側と同じなのよ」
→「むしろ、こんな世になかの風潮が問題なだけ」。

「『あなたの責任だわ』といわれている人ってとても多いです」
→「人が生活するには、性格・仕事・金銭・人付き合い・健康のように幾つもの領域と関わります。すべてにおいて誰からも責められていない人なんか一人もいなのよ」
→「だから、自己責任を問われた時は『はい、気を付けます』とだけいって、その場からすぐに立ち去るのが賢明よ。そして、誰でもこんなことを言われているのかしらと思えばいいだけ」。


・最後に、固定ページの「その3.「ありのままの自分を観る」Mindfulness」

「世相は変化していきます。その端的な例がありますね」
→「最初は、イラクに行った若者たちを政府幹部は『自己責任論』で問いつめ、世論を結果として誘導しました」
→「しかし、パウエル米国務長官が『かれらを責めて良いわけではない』『日本人は、そのようなことを進んで引き受けた市民を持っていることを大いに誇りに思うべきです』と発言した途端に、政府幹部は静かになりました」
→「自己責任論とはこの程度のものです。時の情勢によって、ころころと変化するものです」
→「だからこそ、アレコレと考えることは止め(だいたいにおいて考えると自分を責めることになるから)今の自分を大切にするのが良いですよ」

 

結婚と自己責任

 

お付き合いしている相手と上手くいかないとき、

ご結婚した相手に責められるとき、

「相手が私を責めるのは、私がわるいのだ」

「私が至らないから相手がイラつくのだ」

「相手が怒るのは、私が原因だ」

と感じることがありますね。

 

特に自己肯定感が低い方は、上手く行かないという事実を前にして、自分を責めがちです。

 

しかし、客観的にみると、貴方が原因ではなく、相手が原因であることが多いものです。

言い換えると、相手から責められたという事実が目に前にある場合、その事実の原因は責められる側にあるのではなく、責める側にあることが多いものです。

 

時には、共依存に陥っている場合があります。
→「マイナビウーマン」のサイト
「ウィキペディア」のサイト

 

自分が悪いのではないかと感じた時には、

前章で申し上げた通り、自責感情をセルフコンパッションで乗り超えて欲しいです。

それがなかなか上手く行かない場合は信頼できる方複数名に相談してみましょう。

 

 

 

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1.怒りとの良い付き合い方とマインドフルネス

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11.「自己責任論」を「セルフコンパッション」で乗り超える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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