公益社団法人「日本心理学会」のサイトで、
『セルフ・コンパッションと「あるがまま」』という特集を見つけました。
(「セルフコンパッション」と「罪悪感」の二文字でGoogle検索したところ、1ページ目に表示されたサイトです)
この特集は、関西学院大学文学部 有光 興記(ありみつ こうき)教授の文章です。
セルフコンパッションについて、「こうありたい自分とあるがままの自分」という観点から記されています。
また、セルフコンパッションと慈悲との関係を分かりやすく説明なさっています。
前半と後半から、一部をコピーします。
『こうありたい』『こうあるべき』自分自身は,頭の中で作り上げられたもので,ちょっとしたことで崩れ去ってしまう。発表をするとき,格好の良い姿を見せたいと思って頑張っていても,他者のちょっとしたネガティブなしぐさに気づいたらどうだろう。人よりも優れた成績を残せたと思って自信を持った数日後に,他者がさらに優れた成績を取ったと分かったら,どんな気持ちになるだろう。いずれの場合も,『こうありたい』自己像はもろくも崩壊し,自信や自尊感情は低下してしまう。さらにやっかいなことは,そこから怒りの感情が湧き起こり,私たちを苦しめるのである。「なんてなさけない」など自分のふがいなさに対して腹を立てることもあれば,「どうしてほめてくれないのか,なぜ自分の良さが理解できないのか」と認めてくれない他者に腹を立てることもある。容姿や成績で自分を圧倒してくる他者に対しては,嫉妬していじめたり排他的な態度を取ることもあるし,親密な対人関係だとより強い怒りを感じ「どうして(自分が思うようにもっと)愛してくれないのか。許せない」と恨みや憎しみを抱き,復讐心につながることもある。しかし,そのような怒りを他者にぶつけることはできない。結局は,過去の自分のやり方を振り返って自分を責めるしかなくなり,より深く落ち込んでしまう。
(図1)
人間関係のさまざまなトラブルで深く悲しむことがあったとする。頭の中は「こうしたかった,これができない私がダメだ,もう何もできない」と自分を責める声でいっぱいで涙が出てくる。そうしたときに,慈しみを持った自分自身をイメージして,悲しんでいる自分に対して「すごく落ち込んで涙が出るんだね。その気持ちはよくわかるよ」と理解を示すような言葉で包み込み,優しく抱きしめる(図1)。そして,2,3回優しく呼吸をしてから呼吸のリズムに合わせて「私が悲しみから解放されますように」「私がダメな人間とか,間違っていると考えることなく,この痛みを受け入れられますように」「私の思考が慈しみの思考になりますように」といった自分で選んだフレーズを繰り返す(慈悲の瞑想)。瞑想中に,様々な身体の感覚,穏やかな気持ちになる瞬間に気づくことがあるが,そのとき「悲しみ」や批判的な考えを手放せていることにも気づく。これは,困難な感情でも,セルフ・コンパッションを高めることで『あるがまま』の自分を受け入れることができる例である。
リンクを以下に貼りましたので、
「こうありたい自分」と「そうなれない自分」との間で悩んでいらっしゃる方、
自分を責めてしまい楽な気持ちになれないで困っている方、
ぜひご一読を。
→『セルフ・コンパッションと「あるがまま」(有光 興記)』(日本心理学会のサイト)
→同PDF